年齢にとらわれないことの大切さ

年齢、それは人が何年生きてきたかを示す記号である。

ある程度の歳になれば、一年に一度の誕生日だけに自分の年齢を把握する人もいるだろう。

本来はその程度のことであり、おめでたいはずの誕生日だが、実際のところはそうとも言い切れない。

それは人によっては、歳を取ったことに対して陰鬱とした気分が芽生えるからだ。

何故このような気持ちになるのだろうか。

それは、日本で年齢というものは、表記以上に重いステータスとして扱われる部分があるからだ。

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年齢により人物像が決められる

「大の大人が恥ずかしい」「もういい歳なんだから」「いい加減おちつきなさい」

あなたはこのような言葉を聞いたことがないだろうか。

この言葉が示すように、私達の国では、年齢によって自分の立ち位置が決められているのだ。

明確な年齢基準はないが、おおよそ20代も中盤を過ぎると「いい大人」として扱われ、俗に言うチャレンジ行動を制限される傾向が強い。

成人した社会人ならば当然のこと。

昔の私は、この教えを何の疑いもなく受け入れていた。

だが、海外で現地の人々と触れてみて、その考えに疑問を持つようになった。

たしかに、海外でも成人した大人にはそれなりの責任力が求められるが、その責任の部分は法律上のものだけだ。

しかし、日本では、その責任部分がプライベートの行動にまで及んでいる気がしてならない。

例を挙げよう。

私が知り合った欧米人の話だ。

彼は年齢50歳、税務関係の仕事をしていた。

業績もよく、年収もそこそこのものだった。

ところが、最近プログラミングに興味を持ち、ゆくゆくはIT関係に転職したいと語っていた。

それを聞いた私は、即座に「それは辞めた方が良い」と伝えた。

だが、私の言葉を聞いた彼は、心底不思議そうな顔をして「なぜだ?」と聞き返してきたのだ。

私としては特に深い考えはなく、安定した職を捨ててまでその年齢で新しいことをする意味がないと思ったからだ。

私は、彼に再びそのことを伝えた。

ところが、彼の反応は意外なものだった。

「なぜ50歳だとダメなんだ?」

特別反論している様子もなく、本当に私の言葉に疑問を持っている感じだった。

彼の様子を見て、私は初めて「間違っているのは自分の方かもしれない」と思うようになった。

日本が年齢に拘る理由

そもそも、なぜ日本はここまで年齢にこだわるのだろうか。

私は、それには二つの理由があると考えている。

以下、順番に説明していく。

①日本語の弊害

尊敬語・謙譲語・丁寧語・タメ口。

日本語は、相手の年齢によって口調を変えなければならない言語だ。

そのため、瞬間的に相手の年齢を知る必要がある。

もし、相手の年齢を知らずに、初対面の年上にタメ口で話してしまったら、それだけで一大事となってしまう。

その点、英語は相手の年齢を気にせずに、誰にでもフランクに話すことができる。

そう考えれば、このような複雑な言語で生きていく私達は、自然と年齢に拘りが出てしまうのも無理はないのかもしれない。

②終身雇用・年功序列制度の影響

もう一つの理由、実はこれこそ日本が年齢に拘る最も深い要因だと思われる。

1990年頃まで、日本のサラリーマンは生涯同じ会社で働く終身雇用制度が当たり前だった。

その制度に連動し、年功序列制度というものが作られた。

これは名前の通り、年齢に比例して給与が上がるシステムである。

だが、バブルも崩壊し、派遣制度の開放やIT化が進み、ありとあらゆる仕事環境が変わった。

現在は、どちらの制度も実質的には崩壊している。

しかし、今でもその名残りだけは消えずに、企業は昔の雇用制度を維持しようと必死になっている。

そのため、日本では未だに「新卒採用」が行われているのが現状だ。

海外事情を知って驚いたのだが、海外では新卒採用などというものはない。

さらにいえば、履歴書に年齢を書くことを禁止されているのだ。

海外では、全ては仕事の能力で判断され、年齢での評価は一切な

この現状を知って、私は初めて前述した欧米人の彼の反応を理解することができた。

年齢というものを重視しない文化では、私の言葉の意味を理解することができなかったのだろう。

私は、日本でも早くこの制度を取り入れてもらいたいと切に願っている。

年齢に拘ならい生き方

「何歳だからこれはだめ」「何歳だからこうあるべき」

この考えは、自分を型にハメ、本来の自分の欲求を抑え込む行為だ。

欲求とは自然に湧き上がる感情であり、新しいことを挑戦する時に欠かせない感情である。

だが、年齢にとらわれてしまっては、その感情は一気に萎んでしまう。

これは非常にもったいない。

何故なら、成功の土台には必ず欲求が関わっているからだ。

もし、あなたが今、心の中で何か新しいことに挑戦したい欲求があるのなら、その気持ちを大事にしてほしい。

そして、決して自分の年齢にとらわれないでほしい。

前述したように、世界基準では年齢など関係ない。

本来、何かを挑戦したいと思う時期は、人によって違うのは当たり前のはずだ。

皆それぞれ、生きてきた環境、人生観、きっかけのタイミングが違うのだから。

年齢に拘り、自ら可能性を閉ざすことだけは絶対にしないでもらいたい。

あなたが年齢という枷を外せることを、私は心から願っている。

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