成人式に行かない方が良い人とその理由

正月がようやく過ぎたと思えば、すぐに成人式だ。

新成人にとっては、これで晴れて大人の仲間入りとなる。

毎年、この日に会場の前を通ると、色とりどりの袴を身にまとった新成人達が旧友との再会に歓喜している光景を見かける。

普通の人ならば、さぞかし微笑ましい光景に見えることだろう……。

だが、残念ながら私はそういう気持ちにはなれない。

どうしても成人式に沸き起こる負の感情に焦点を当ててしまうからだ。

成人式とは、当然のことながら全員が参加するわけではない。

多くの人間にとっては、参加しなかった者がどのような気持ちで不参加を決意したのか、その理由を考えもしないだろう。

しかし、参加しなかった者の心には、凄まじい葛藤が繰り広げられているのだ。

かくいう私も、成人式には参加しなかった。

プロフィールにも少し書いたが、あの当時は人生に一番絶望していた時期だった。

そんな状態では、とても旧友に会いたいという気持ちにはなれなかったのだ。

ただ、あの時の決断は今でも英断だと思っている。

基本的には、決断したことを後から後悔することが多いのだが、あの時の決断は今でも正しかったと思っている。

では何故、私の決断が正しかったと言えるのか。

それが今回のテーマとも呼べる成人式には行く必要があるのかということに繋がる。

まず結論から言うと、今の自分に誇れることがない者は行かない方がよい。

成人式の目的とは、表向きは成人になったことを祝うことであるが、実際のところは旧友に会うことである。

そして、この旧友とは「昔の自分しか知らない者達だ。

そうなると当然、話題の中心は今の現状となる。

主に、大学生活、バイト、恋愛事情、働いている者ならば仕事のこと、などだろう。

察しのいい方ならば、すでに気がついただろう。

今の自分に誇れるものがない者にとっては、この話題は非常に肩身の狭い思いをすることになるのだ。

周りの輝かしい学生生活を聞き、何もない自分と比較しては劣等感に苛まされることになる。

さらに厄介なのが、相手は自分のことを昔のイメージで見ていることだ。

成人式で会う旧友とは、最後に会ったのは大抵が中学生の時だろう。

15歳と20歳では人間的にかなりの違いがある。

それが良い意味でも悪い意味でも。

当時より人間的に成長した者にとっては、今の自分をアピールするチャンスとなるわけだが……。

しかし、その逆の場合。

つまり、当時の自分よりも今の自分の方が劣っていると感じる者にとっては、周りからの好奇の目に耐えなければならない。

私は何度もそのことを経験した。

15歳頃の私は、活発な野球少年でとても明るい性格だった。

しかし20歳頃の私といえば、人生に嫌気が差し、自分で自覚するほど暗い雰囲気を出していた。

昔の知人に会えば、必ずと言っていいほど「変わったな」と言われるほどだ。

彼等の言う「変わった」というのは、明らかに悪い方での意味だ。

昔はあんなにも明るかったのに……今ではこんな暗い人間になってしまって……。

彼等の目からは、昔の私のイメージとは違うことに対する、そんな落胆と見下しの感情が垣間見えた。

このように、過去の自分しか知らない旧友達は、嫌応にも昔の自分と比較してくる。

そのことに対する覚悟が持てないのならば、絶対に成人式には行くべきではない。

結局のところ成人式とは、言葉は悪いが今の自分をアピールする社交場なのだ。

今の私はこんなにも輝いている、今の私を見て欲しい。

意気揚々と成人式に出かける人間には、多少なりとも必ずこの心理があるはずだ。

もちろん、中には純粋に旧友に会いたいと願っている者もいるだろう。

だが考えてみてほしい。

本当に会いたいと願うほどの仲の良さなら、成人式を待たずとも、とっくに会っているはずである。

やはり私には、成人式とは旧友達に今の自分をアピールし、いかに優越感に浸るかを競う場所にしか思えないのだ。

その証拠に、成人式に行って後悔した人達を何人も見てきた。

もし、あなたがまだ未成年で、成人式に行くかどうかを迷っているのなら、その時の自分の現状を客観視しておくことだ。

その時の自分が過去のイメージより良くなっているか、周りの話を聞いても劣等感を感じずにいられるか、そのことを慎重に吟味してもらいたい。

間違っても生涯に一度しかないからなどという、ありきたりな理由だけで参加するべきではない。

あなたが今の自分を誇れないのならば、成人式に行くことで生涯消えることのない心の傷を負うことも十分ありえるのだから。

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