運命は決まっている

あなたは運命について、どのように考えているだろうか。

自分の意志で変えられる。

それとも、あらかじめ決められたもので変えることはできない。

この問いの答えは千差万別だ。

だが、一般的には「運命は変えられるもの」という考えを持つ人が多い気がする。

果たして……本当に運命は変えられるものなのだろうか。

結論から言おう。

私は、運命は決まっていると考えている。

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運命は変えられると信じる理由

運命について語る前に、なぜ人は運命を変えられると信じるのかを考察したい。

このことは、自己啓発本などを見るとわかりやすい。

自己啓発本には「運命は自分の意志で変えられる」と書かれているものが非常に多い。

もし、「あなたの運命は決まっているので何をしても無駄だ」などと書かれていたら、その著者は大批判を喰らうだろう。

このことからも、人は運命を変えられると信じたい傾向が強いと読み取れる。

だが、少し考えれみればわかるが、運命は変えられるものだ、という決定的な証拠はどこにもない。

もちろん、その逆も然りだが……。

これほどまでに抽象的なものに、何故ここまで心を揺さぶれられるのか。

それには以下の理由があると考える。

①前向きになれる

運命は変えられないと考えるよりも、運命は変えられると考えた方が、前向きになれる。

人は、前向きになるからこそ意欲的になれる。

運命を変えられないと言われて、意欲的になれる人はまずいないだろう。

そのことだけを考えれば、運命は変えられると考える方が建設的なのはたしかだ。

②自分の成果を運命のものだと考えたくない

運命を自分で変えられると考えるもう一つの理由として、今の自分の成果は自分が切り開いたものだと考えたいからだ。

【天才は自分が天才であることを認めるべき】でも触れたが、成功者は自分の成果の裏にある自分の努力を重視する。

運命は決められたものという考えでは、自分の成果はあらかじめ決められたものであることになり、努力せずに得た怠け者という扱いになってしまう。

だからこそ、決して運命は変えられない、という考えは肯定しない。

③運命を受け入れる恐怖

運命を変えられると信じたい人は、これが一番大きいのではないだろうか。

決められた運命が自分の望むものならば良いが、そうでないならば……。

それは本当に恐ろしいことだ。

そう考えれば、運命論を簡単に受け入れることができないのも、当然だと言える。

成功者には運命の導きがある

成功者のエピソードには、自分の努力とは無関係に働くのような要素がある。

それはまるで、その者を成功に導くように……。

これこそ、まさに運命といえるのではないだろうか。

例を挙げよう。

2010年サッカーワールドカップにて、一躍その名を轟かせた「本田圭佑」選手。

彼もまた、この事例に当てはまると考える。

サッカーを普段から見ない人にとっては意外かもしれないが、実は、彼はワールドカップ直前までレギュラーではなかった。

もっと厳密にいえば、日本代表にも呼ばれていなかったのだ。

それが何故、ワールドカップでは中心選手として使われていたのか。

その大きな原因として、監督の交代が挙げられる。

2010年ワールドカップを指揮したのは「岡田武史」監督だが、実は彼もまた、途中交代で就任した監督である。

本来は「イビチャ・オシム」氏が指揮する予定だった。

しかし、2007年に脳梗塞で倒れてしまい、やむを得ず監督交代となる。

監督が変わったことにより、それまでの戦術や人選が大幅に変更された。

結果として、本大会では、グループリーグ突破という偉業を成し遂げたわけだが、果たして、もしオシム史のままだったら、本田選手の活躍はあっただろうか。

いや、私は間違いなくないと考える。

その証拠に、オシム氏は、当時の岡田監督の戦術について、「中村俊輔が中心選手になるべき」と語ったことを、スポーツ氏が報じている。

もちろん、本田選手が実力があることは疑いようのない事実だが、やはり、彼の成功は運命の導きがあったからこそだと、私は考えている。

運命は確実に存在する

前述したとおり、成功者には運命と呼ばれる導きがあると語った。

しかし、恐らくこれで納得する人はあまりいないだろう。

もちろん、私自身もこれだけで納得してもらえるとは思っていない。

では、次に話す内容はどうだろうか。

これを聞いても、あなたはまだ運命は変えられると思えるだろうか。

前述した本田選手のような成功への運命ならまだいい……だが、残念ながら運命とは良いことだけではない。

その事例の一つとして、近年社会問題になっている「幼児ぎャくたい」だ。

子供は親を選べない。

彼等(彼女)達は自分の意思とは無関係に、残酷な親元へ生まれ、過酷な日々を過ごしている。

最悪の場合、命さえ落とす結果になってしまう……。

幼き子供にとっては、親こそが自分の世界の全てであり、絶対的法なのだ。

1歳以上になれば、運よく助けを求められる可能性もあるかもしれない。

だが、ハイハイすらできない赤ん坊には、もはやどうすることもできない。

これこそ、まさに運命としか言いようがないのではないだろうか……。

もし、これでも運命は変えられると言うならば、それは本当に残酷なことだと思う。

運命は変えられる、これは裏を返せば、あなたにはまだ改善の余地が残されていると言うメッセージであり、自己責任論にも繋がりかねないからだ。

もちろん、全ての事例ではないかもしれないが、変えられない運命は必ず存在する。

そのことだけは頭に入れて欲しい。

そう考えることが、相手に対して思いやりをもって接することができるようになる要因だと私は思っている。

最後に、運命は決められているとしても、だからといって何をしても無駄だとは思わない。

何故なら、未来は私達の誰にもわからないからだ。

だからこそ、先の運命を予測して、何も行動しないのは非常にもったいない。

自分の望む未来に到着するために、努力しようと思ったことこそが、運命なのかもしれないのだから。

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