カラオケが嫌いな人の理由と心理

今ではすっかり日本を代表する娯楽になったカラオケ。

その性質上、大人数で盛り上がれることもあり、飲み会や二次会などで利用されることも多い。

これだけ根付いていると、もはや日本の文化と言ってもいいのかもしれない。

しかし、そんな世の中になっても、カラオケが嫌いな人は一定数いるものだ。

何を隠そう、私自身もその中の一人である。

カラオケが好きな人には信じられないかもしれないが、嫌いな人間にとっては本当にカラオケは苦痛なのである。

一体何が彼等をそこまでカラオケ嫌いにさせているのか。

今回は、私自身のことも含め、カラオケが嫌いな人の理由と心理を解説したい。

あなたは「カラハラ」という言葉をご存じだろうか。

「カラオケ・ハラスメント」の略であり、意味としては「パワハラ」や「セクハラ」と同様に、嫌がる人にカラオケを強要することである。

カラオケが嫌いな人なら一度はこの「カラハラ」を経験したことがあるはずだ。

この「カラハラ」をいかに回避するかは、カラオケが嫌いな人が世渡りしていくための課題である。

なぜなら、多くの場合はカラオケの誘いをすんなり断ることができないからだ。

相手に「カラオケは嫌い・苦手」と告げても、大抵の場合は「来るだけでいいから」と返され、参加を強要させられる。

しかし、いざ行ってみると最初の話とは違い、「歌わないの?」「一曲だけ歌いなよ」などと、何の躊躇もなく勧められるのだ。

それでも断ると、今度は「ノリが悪い奴」というレッテルを貼られ、空気の読めない人間として蔑まされる。

当の本人からすれば「なら最初から誘わないで欲しい」と思うのだが、カラオケ好きが集まる場では「歌わないこと」はでしかないのだ。

このようなケースは非常に多く、カラオケが嫌いな人にとって悩みの種である。

さらに厄介なのは、カラオケが好きな人は「他人に歌わせること」を善意でやっている節があることだ。

カラオケは「娯楽」と称されているように、一般的には「楽しい」ことなのである。

よって、カラオケが好きで好きで仕方がない、という人にとっては、歌うことが苦痛だという感覚は想像できないのだろう。

そのために、他人にも歌うことを無意識に勧めてしまうのだと思われる。

しかし、声を大にして言うが、カラオケが嫌いな人にとって歌うことは本当に苦痛でしかない。

その主な理由としては、「音痴」「人前で歌うことが嫌」などが挙げられる。

私自身のことで言えば、音痴であることを自覚しているし、それをわざわざ人前で晒したくない、という気持ちが強い。

だが、この理由を述べると決まって「周りはそんなこと気にしてない」「自意識過剰だ」という言葉が返ってくる。

たしかに、その意見は一理ある。

実際、私自身の経験談としても、私が歌わない時には鋭く目を光らせていた人でも、一曲歌った後では憑き物が取れたように穏やかな表情へと変わることが多かった。

結局、歌わないからこそ執着されるのであって、歌ってしまえば興味は薄れるのだ。

よって、カラオケが嫌いな人がその場を上手くやり過ごすためには、さっさと歌ってしまうに限る。

早めに一曲でも歌ってしまえば、後は黙っていても誰も追及してこないはずだ。

歌うことが嫌いなのに歌わなければならないのは酷ではあるが……どうしてもカラオケに行かなければならない時にはやむを得ないだろう。

ただ、そんなことを考えていると、ふと疑問に思ったことがある。

仮に、歌うことを好きになれば、カラオケが嫌いな人はカラオケを好きになれるのだろうか、と。

しばらく考えてみたが、結論として、それはないと判断した。

なぜなら、カラオケが嫌いな人の中には「カラオケの雰囲気が嫌い」と答える人もいるからだ。

実は、この「雰囲気が嫌い」という理由にこそ、カラオケが嫌いな人の「本音」が隠されているのではないか、と私は思っている。

カラオケが嫌いな人の心理を本当に知りたいと思うなら、このことを理解する必要がある。

ただ、「雰囲気が嫌い」という言葉ではやや抽象的すぎて、いまいちピンとこない人もいるだろう。

そこで、私なりにこの意味を考察してみることにした。

まず前提として、カラオケとは皆の前で「自分の歌」を披露する場だ。

よって、多くの人は基本的に他人の歌には興味がない。

他人の歌を熱心に聞いているのはせいぜい1、2曲だけで、後はほとんどの人が次に歌う曲を探しつつ、ジュースを飲むか携帯をいじって自分の順番を待っている。

そうして自分の番が回ってくると「待ってました」と言わんばかりに、目を輝かせて熱唱し始めるのだ。

カラオケではよくある光景だが、このような状況では、敏感な人なら他人のある感情をダイレクトに感じ取ってしまう。

それは、自己顕示欲である。

カラオケで気持ちよく歌っている人を見ると、「もっと俺の歌を聞け」「私の美声を聞いてほしい」という心の声が聞こえてくる気がするのだ。

それは、普段はおとなしい人なのに、歌う時だけ人が変わったように熱唱する人ほど強く感じてしまう。

彼等は自分をさらけ出すことに飢えている。

きっと、普段の私生活では必死に自分を抑え込み、辛い仕事や人間関係に耐えているのだろう。

そのストレスを、カラオケにぶつけて爆発させているように思えてしまうのだ。

「もっと自分を認めてほしい」

彼等の歌う姿からは、そのような感情がヒシヒシと伝わってくる。

もちろん、それが悪いことだとは言わない。

本来、カラオケにはそういった側面もあるし、それで日頃のストレスが解消されるなら本人にとってはいいことだろう。

しかし、カラオケが嫌いな人にとっては、それは単なる「黒い欲望」でしかないのだ。

例えるなら、自分の尊敬する人の「裏の顔」を見てしまったようなやるせなさを感じてしまう……。

きっと、カラオケが嫌いな人はそういった欲望のニオイに敏感なのだろう。

だからこそ、カラオケの雰囲気を純粋に楽しめないのだ。

もちろん、これはアクマで私の個人的な見解であり、実際は違うのかもしれない。

しかし、海外のカラオケ事情を見ると、私の考えはあながち間違っているとは思えないのだ。

実は、海外にはカラオケ文化というものがない。

そもそも、日本とは違って店の数も少なく、娯楽という認識もされていない。

日本ではこれだけ流行しているにも関わらず、なぜ海外ではカラオケは根付かないのだろうか。

それは恐らく、海外ではカラオケをする必要性がないからだ。

前述したように、カラオケとは単に「歌う」だけではなく、自分を「表現」することを目的とした側面を持っている。

しかし、外国人は日頃から自分の感情を表現する術を持っており、議論の場で自分の意見を述べることも当然のこと、と幼少期から教育されている。

そのため、わざわざカラオケに行かなくても、自己開示欲は十分満たせているのである。

一方、日本では「本音と建前」という言葉があるように、自分の本音よりも世間体や礼儀が重視され、基本的に年上に意見を言うことは許されていない風潮だ。

このことが、日本でカラオケが流行する最も大きな要因だと思われる。

つまり、日本人にとってカラオケとは「自分を堂々と表現できる」数少ない場所なのだ。

それだけに、多くの人がカラオケで自分を表現しようとヤッキになるのだろう。

もし、あなたがカラオケ好きな人間なら、一度自分の胸に手を当てて問い掛けてもらいたい。

「自分はなぜカラオケが好きなのか」と。

その答えで、あなたは自分の心の叫びに気づくことになるかもしれない。

たしかに、カラオケは大勢で楽しむことができる素晴らしい娯楽だ。

それを生み出した日本は世界に誇ってもいいだろう。

しかし、流行する背景には、それなりの理由があることを決して忘れてはいけない。

もしかしたら、そこには日本の息苦しさの原因が隠されているかもしれないのだから……。

以上が私の考えるカラオケが嫌いな人の理由と心理である。

ここまで色々と言ってきたが、カラオケを純粋に楽しめるならそれに越したことはない。

私自身にしても、この先、歌が上手くなればカラオケが好きになるかもしれない。

それを確かめるためにも、気分が乗った時に歌の練習でもしてみようと思う。

カラオケが嫌いな人も、まずは親しい友人と二人で行くことから初めてみてはどうだろうか。

親しい友人と行けば、もしかしたらカラオケの楽しさを見つけることができるかもしれない。

その時は是非、カラオケの楽しさを私にも教えてもらいたい。

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