子育てに悩む親は多い。
しつけ、誉め方、叱り方、マナーなど、子供に教えることは山ほどある。
教育熱心な親達は、必死に本やネットで情報を集め、日々、子育てについて勉強している。
時には、その重圧からノイローゼになったり、うつになってしまう人もいる。
だが、それだけ熱心に勉強しているにも関わらず、正しい子供の育て方を知る人は少ない。
ひどい場合は、間違った知識を鵜呑みにして、そのまま子供を育てている親もいる。
そこで今回は、【毒親の呪縛から逃れる方法】で話したように、毒親に育てられた私が、自分自身を反面教師とした「正しい子供の育て方」を伝授したい。
私は子育ての専門家ではないが、自分が毒親に育てられたことで、子供の育て方については人一倍勉強してきた。
その甲斐あって、今では下手なマニュアル本よりもよほど有益性が高い知識を持っていると自負している。
子育てに悩んでいる親、または将来子供を欲しいと願っている人は是非一読して欲しい。
間違った教育思想
まず初めに、多くの親が子供の育て方で間違っている点は「子供をちゃんと育てなければならない」という想いが強いことだ。
頭の中には、常に「自分がこの子の将来を担っている」という重圧があり、親としての責任を果たそうと必死になっている。
一見すれば良い親に思えるが、これには一つ盲点がある。
それは、子供には親の気持ちが伝わっていない、ということだ。
「親の心子知らず」という言葉があるように、たとえあなたがどんなに子供のことを想っていても、子供からすればただの「厳しい親」にしか映らないのだ。
子供の心は繊細だ。
あなたがいつも張り詰めた表情をしているのを見て、心に余裕がないことをすぐに察知する。
それに気づいた子供は、どうにかしてあなたの機嫌を取ろうと頑張るが、その行動は「子供の成長」に強い悪影響を及ぼす。
なぜなら、子供が自分の気持ちを素直に表現できなくなるからだ。
幼少の頃から親の目ばかりを気にして育てば、当然だが、自分の存在価値を認めることができなくなってしまう。
最悪の場合、その子供は自分に自信がない萎縮した大人になってしまうだろう。
あなたが良かれと思ってしていた「しつけ」は、実は子供の言論を奪う「恐怖政治」でしかないのだ。
そうではなく、子供を正しく育てたいと願うならば、子供にもっと自由を与えるべきだ。
いわゆる「放任主義」という教育方針だ。
これを言うと、「そんなことをしたら子供が駄目になる」と聞こえてきそうだが、その考えは間違いである。
実は、子供の人格を形成するために、親の影響というのはほとんどない。
影響があるのはせいぜい5~6歳までで、その後は外部の影響が強く反映される。
要するに、学校の友達や先生など、家族以外の人間との触れ合いのことだ。
「こうしたら上手くやれた」「こういうことをしたら駄目だ」
そういった人生観の良し悪しは、経験を通して子供が勝手に学んでいくのである。
にも関わらず、親から必要以上に「厳しく」されれば、子供の心はどんどん抑圧されてしまう。
すでに十分に受け取っている世間勉強を、家でも押し付けられるのだ。
これでは、子供は一向に気が休まる時がない。
親の「しつけ」は、子供にとっては余計なお世話でしかないのである。
さらに恐いのは、このように育てられた子供は、思春期に爆発することが非常に多いことだ。
いわゆる「反抗期」と呼ばれるものだが、抑圧されて育った子供達は、普通の子供とは反抗のレベルが違う。
単に親に反抗するだけではなく、徹底的に親を苦しませようとする。
その一つが、非行に走ることだ。
俗に言う「不良」と呼ばれる層である。
不良と呼ばれる子供達は、家庭環境が厳しかったというケースが非常に多い。
世間では「あんなに立派な親なのに、どうして子供はああなってしまったのだろう」と疑問視するが、私からすれば不思議でもなんでもない。
全ては、親が必要以上に子供に厳しくした結果である。
不良と呼ばれる子供は「自分の存在」を親に認めてほしいのだ。
厳しく育てられた子供には、承認欲求が著しく足りていない。
幼少の頃から親の「しつけ」に抑圧され、自分の本心を奪われてきたのだから当然だろう。
だからこそ、親の束縛から逃れた「本当の自分」を見せつけようとヤッキになるのだ。
子供が非行に走る原因には、「自分をわかってほしい」と願う、親へのアピールが含まれているのである。
このような事態を防ぐためにも、親は子供にもっと「自由」を与えるべきだ。
必要以上に厳しく育てることは、親の自己満足でしかない。
あなたが子供のためだと想っていても、子供にとっては全く別の意味でしかないのだから。
だからこそ、もっと気楽に子供に接してあげてほしい。
「自分がしっかりしなければならない」などと肩肘を張らずに、子供と楽しい思い出を作ることだけに専念すれば良い。
子育てに悩む親は、まずはこのことを心に留めてもらいたい。
子供は親の分身ではない
前項では、厳しく育てることが子供にとってどれほど悪影響なのかを話した。
次に、この項目では、子供を育てるうえでもう一つ大事なことを話す。
このことも、多くの親が無意識にしている行動なので、子供を正しく育てたいならばしっかりと頭に入れてもらいたい。
それは、子供を自分の分身として扱わないことだ。
端的に言えば、「子供の人生は子供の物だ」と自覚することである。
世の中には、このことをわかっていない親が非常に多い。
中でも、特に多いのが自分の想いを子供に託すことだ。
具体的に言えば、自分が叶えられなかった「夢」や「目標」を子供に押しつけることだ。
そのような親は、自分の子供時代を強く後悔している。
それを払拭せんばかりに、子供を分身のように扱い、自分が果たせなかった夢を代わりに叶えてもらおうとするのだ。
その代表的な行動が、習い事を強要することである。
野球やサッカーなどのスポーツはもちろん、ピアノや習字など、そのジャンルは様々だ。
塾に通わせて私立の小・中学受験をさせることもこれに含まれる。
いずれに共通することは「子供の意思とは無関係」ということ。
親は子供に「お前の将来のためだ」と必死に言い聞かせるが、実際は自分のためでしかないのである。
さらに言えば、残念ながら子供が親の願望を叶えることはほとんどない。
なぜなら、子供が自分で決断したことではないからだ。
これは子供に限ったことではないが、人間というのは「自分で決断したこと」でしか意欲は沸かないのである。
幼いうちは親のご機嫌を取るために頑張るが、大人になるにつれ、どんどん意欲が下がっていく。
やり始めた動機が「自分の本心」ではないのだから当然だ。
結局、全て中途半端に終わることになり、後には何も残らない。
子供の育て方の失敗でよくあるパターンである。
ただ、それだけならまだいい。
恐ろしいのは、親の決断に従うあまり、子供が自分で決断する力を養えなくなることだ。
それは【「自分で決断する」ことは人生で一番大切なことである】でも話したように、子供の人生にとって最も不利益なことである。
長い人生、子供は自分で決断しなければならない時が必ずくる。
その時になっても、親の決断ばかりに従ってきた子供は、自分では何も決められない。
それはやがて、本人が一番後悔することになり、最悪の場合、そのことで親を怨むことになるだろう。
それほどまでに、決断力を養うことは人生に重要なことなのである。
そうならないためにも、親は子供に決断力を養う訓練をさせなければならない。
その方法は至極簡単だ。
親が子供に「決定権」を譲れば良いのである。
あなたは『高木豊』という人物をご存じだろうか。
知る人ぞ知る、俊足好打の元プロ野球選手である。
彼には三人の息子がいる。
その息子達は、なんと三人ともプロサッカー選手になっているのだ。
元プロ野球選手の父親を持ちながらも、その子供はサッカー選手として活躍している。
これは本当に素晴らしいことだ。
もちろん、「素晴らしい」というのは、子供がサッカー選手になったことではない。
高木豊が子供達に「サッカーを選んだこと」を許したことである。
普通、自分がプロ野球選手だったのなら、どうしても「子供にも野球をやらせたい」と思ってしまうのが親のサガというものだ。
しかし、高木豊は一切その気持ちがなかったと断言している。
以前、彼はそのことについて、インタビューでこう答えた。
選択肢を親が決める人生ほどつまらない人生はない。
だから決定権はすべて子供たちに与えた。
自分で責任と決定を下す意思を持てるようにしないといけない。
親が決めると、子供の芽を摘んでいくことになると思う。
私は、この言葉を聞いて心底感動した。
高木豊は親として大切なことをちゃんとわかっているのだと。
高木豊の言うとおり、人生の決定権は子供自身に託すべきなのである。
子供は親の所有物ではなく、一人の人間なのだから。
そのことを、親は強く認識しなければならない。
もし、あなたにも心当たりがあるのなら、心の中でもう一度この言葉を唱えてほしい。
「子供は自分の分身ではない、子供の人生は子供の物だ」
子供を正しく育てるためには、この考えは必要不可欠だ。
子供を愛することの大切さ
ここまで、「正しい子供の育て方」についての心構えを話してきた。
いずれも子供を育てる上でとても大切なことである。
そのことを踏まえて、この項目では、具体的に子供に何をすれば良いのかを話したい。
これこそが正しい子供の育て方の本質と言ってもいい。
その答えは、子供を愛することである。
「愛する」と言っても、ただ愛するだけでは意味がない。
その愛は無償の愛でなければならないのだ。
無償とはつまり、子供からの見返りを一切求めないということ。
「そんなことは当たり前だ」と思うかもしれないが、果たして、あなたは本当にそのことを理解しているだろうか。
この「見返り」というのは、子供から何かをもらうことだけを指しているわけではない。
子供が「一人前」になることを望むことも、見返りに含まれるのである。
多くの親は、自分の子供に「大層な人間にならなくても、一人で自立できる大人になればいい」と願っている。
しかし、その願いは簡単なことではない。
【良い大学、良い会社への幻想】で話したように、今の時代は昔とは全ての社会構造が異なっている。
昔は当たり前にできた「自立する」ことですら、今では全ての人間が成し遂げられるわけではないのだ。
正直に言えば、あなたの子供が将来ニートになる可能性も大いにありえる。
今の日本社会は、それほどまでに混迷している。
だが、それでも親は子供を愛さなければならない。
それこそが、見返りを求めない真の「無償の愛」なのだから。
その覚悟を持った者だけが、本当の意味で子供を持つ資格がある、と私は思っている。
これを聞いたあなたは、もしかしたら子供の将来が不安になったかもしれない。
中には、「自分の子供もニートになったらどうしよう」などと考える人もいるだろう。
だが、安心して欲しい。
子供に「無償の愛」を与えていれば、ニートになることはほとんどない。
実は、子供がニートになるケースのほとんどは、親から愛情を受け取っていないことが原因なのだ。
最初の項目で、子供の人格形成に親の影響はほとんどない、と書いたが、子供が「自信」を持てるかどうかに関しては、親の育て方が強く反映される。
むしろ、親からの影響が全てだと言っても過言ではない。
ニートの人は自分に自信がないことが非常に多い。
それは幼少の頃から、「何かを達成したら褒められる」という、条件付きの愛情しか受け取ってこなかったからだ。
テストでいい点を取った時だけ褒められる、習い事が上手くできた時だけ褒められる。
このように、「条件付き」で褒められることを当たり前として育った子供は、何もしていない自分には価値がない、と思い込んでしまうようになる。
そのため、親に褒められようと常に頑張り続ける羽目になってしまうのだ。
これでは、いつまで経ってもありのままの自分を認めることができない。
【自分に自信がない人が確実に「自信」をつける方法】で話したように、自分に自信を持てないことは、生きていくうえで非常に重い足枷となる。
それは、挫折した人達がニートになる大きな要因でもある。
そのような苦しい思いを子供にさせないためにも、親は子供に「自信」を与えなければらない。
親は子供に「存在するだけで価値がある」ということをわからせてあげる必要があるのだ。
その方法こそが、前述した「無償の愛」を捧げることなのだ。
子供から何も見返りを求めずに、ただ純粋に愛する。
これこそが、「正しい子供の育て方」の本質である。
どうか、子供の「ありのままの姿」を認めてあげてほしい。
そうすれば、子供は自信に満ち溢れた大人に必ず成長するはずだから。
子供の理解者になる
以上が「正しい子供の育て方」の概要となる。
読んでみれば、どれも「当たり前」のことばかりで拍子抜けしたかもしれない。
しかし、昨今では、この「当たり前」ができていない親が非常に多い。
子供が自分の思い通りにならないことで苛立ったり、子育てよりも自分の時間を優先する、などはまさにその表れだ。
これらの根底には、子供を支配したい、という感情が隠されている。
子供は親のペットではない。
純粋に可愛いと感じるのは5歳頃までで、小学生に上がればどんどん生意気になってくる。
それでも、親は子供に無償の愛を捧げなければならない。
子供にとって親とは「本当の自分」を見せられる唯一の存在なのだから。
その親に裏切られれば、子供は生涯絶望に苛まされることになってしまう。
本来、親とは子供にとって「世界一の味方」でなければならないのだ。
「自分は親から愛されている」「自分には絶対的な味方がいる」
この安心感こそが、子供の自信を育んでいくのである。
私は、これからの時代を生き抜くために一番大切なことは「自分に自信を持つこと」だと思っている。
しかし、本物の自信とは一朝一夕で得られるものではない。
だからこそ、子供の時から自信を持たせることが重要なのである。
どうか、子供を思う存分愛してあげて欲しい。
あなたが子供の理解者になってあげれば、子供はそれだけで自分に自信を持つことができるようになる。
子供の育て方で悩んでいる人は、あれこれ深く考えずに、そのことだけに焦点を当てれば良い。
あなたが思っている以上に、子供はあなたからの愛を欲しがっているのだから。
最後に、今も子育てに悩んでいる親達へ、この言葉を捧げて記事を締めることにする。
あなたはすでに十分頑張っている。
だからもっと力を抜いて欲しい。
気負わずに、もっと子育てを楽しもう。
そうすれば、あなたの想いはきっと子供に届くから。
あなたが子供と楽しい日々を過ごせることを、私は切に願っている。