先日、私は生まれて初めて宗教の勧誘を受けた。
訪問勧誘ではなく、いわゆるアポ勧誘ということで、断ることに非常に苦労した。
今まで噂では聞いていたが、まさか自分が宗教の勧誘を受ける日がくるとは思ってもいなかった。
正直に言って気分が悪い……。
断った後はやるせなさで胸がいっぱいになり、非常に辛い思いをした。
ただ、貴重な体験だったことには変わりない。
今回は、そんな私の体験を無駄にしないために、宗教勧誘の手口と宗教勧誘がいかに人の心を傷つけるのかを伝えたい。
宗教勧誘の手口
ことの始まりは数ヶ月前、まだ気温の暖かい夏のことだ。
その日、私は私用で都心に来ており、用事を済ませた後に何気なく寄った公園のベンチに座っていた。
澄み切った夏の夜空を見上げていると、横から声を掛けられる。
「すいません、この辺に美味しいカレー屋ありませんか?」
振り向くと、そこには真面目そうな青年が立っていた。
単なる道聞きだと思い、私は以前行ったことのあるカレー屋を青年に教える。
すると、青年は大喜びし、こう告げてきた。
「カレー好きなんですか? 良かったら今度一緒に食べに行きませんか?」
突然の申し出に驚き、私が戸惑っていると、青年はさらにこう続ける。
「自分、この辺りに友達いなくて、今カレー仲間探してるんですよ」
話を聞くと、この青年は最近仕事の関係で地方から来たらしく、この辺りには友達と呼べる人がいないとのことだ。
あまり気は乗らなかったが、地方から一人で来て寂しい、というフレーズに同情心が沸き、私は彼の誘いを受けることにした。
暇な時に一度くらいは行ってあげてもいいか、その程度の軽い気持ちだった。
しかし、この選択のせいで、後にあんな思いを味わうことになるとは、この時は想像もできなかった……。
それからというもの、彼からは頻繁に連絡がきた。
内容は決まって「いつ空いているか」と約束の日にちを促すものばかりだ。
この頃は私が忙しかったこともあり、誘いがくる度に断っていたのだが、あまりにも連絡が頻繁にくるので、さっさと行ってしまった方がいいな、と判断した。
彼には悪いが、面倒事を早く済ませたい、という思いだ。
私のオススメのカレー屋が知りたいと言われたので、約束の場所は私の地元近くになった。
彼の住んでいる場所は私の地元から大分離れていたが、それでもわざわざ足を運んでくれるということで、その意気込みに心打たれた。
当日、久し振りに再会した青年は、最初に会った時と比べて偉く冷静だった。
念願のカレーを食べてる時も、美味しいとは言っていたが、想像していたよりもリアクションが薄い。
自分で「無類のカレー好き」と自賛していただけに、もっと凄いテンションになることを想像していたのだが、拍子抜けだった。
カレーを食べ終わると、彼から「この後少しお茶でもしませんか?」と打診を受ける。
元々こちらもそのつもだったので承諾し、近くの喫茶店に入ることにした。
席に着くと、青年は突然「ちょっと電話してきていいですか?」と言い放ち、その場を離れた。
しばらくして戻ると、彼は予想だにしないことを口にする。
「実はカレー仲間の一人が今仕事で近くに来てるって言うので、ここに呼んでもいいですか?」
あれ……? 友達いないんじゃなかったっけ?
瞬間、私の脳裏にそんな疑問がよぎる。
私の疑念を察したのか、青年は「元カノの知り合いなんです」と付け加えた。
なるほど、と私は納得し、合流を承諾することにした。
見知らぬ第三者の介入
数分後、現れたのは、スーツ姿でにこやな笑顔を浮かべる色黒で細身の男性だった。
顔が楽天のオコエ選手に似ていたので、以下オコエ似と呼ぶことにする。
オコエ似はとても気さくで、人当たりの良い人物だった。
仕事は営業をしているということで、相手の話に同調するのが上手かった。
そんなオコエ似の人柄に気を許した私は、それからしばらくの間、オコエ似と仕事や恋愛、日常のことなど、とりとめもない話をする。
すっかり場が盛り上がると、彼はふと、こんなことを漏らした。
「実は、僕は今でこそこんな人間なんですが、昔は全然違ったんですよ。高校時代は暗い性格でいじめに合っていて、一人も友達ができなかったんです」
オコエ似の打ち明けに、私は心底驚いた。
まさかオコエ似にそのような過去があるとは想像もできなかっただけに、人は見かけによらないものだなぁ、と改めて感じた。
感銘を受ける私に、オコエ似はさらに続ける。
「でもね、人生の師匠とも呼べる人に出会って、ある事を教えてもらってから人生が180度変わったんですよ。いじめもなくなって、彼女もできて、大学も第一希望に受かったんです」
オコエ似をここまでの人柄に変えた“ある事”が気になった私は、自然と「ある事って何ですか?」と尋ねていた。
私の質問に、オコエ似はにんまりと笑みを浮かべ、こう答えた。
「運と生命力を高めることなんですよ」
運と生命力……?
突然の聞き慣れない言葉に違和感を感じながらも、私はオコエ似の話に耳を傾ける。
「この運と生命力を高めるためには勤行(ごんぎょう)をするんです」
またしても聞き慣れない言葉だ。
「毎日、朝と夜の二回、お経を唱えるんです」
「……あっ」
私はこの時初めて、オコエ似が宗教をやっているのだと気づいた。
しかし、自分で聞いておいて今更興味がないとは言い出せず、ただ黙ってオコエ似の話を聞くしかなかった。
その後、オコエ似の話はヒートアップし、勤行がいかに人生に良い影響を与えるのか、その素晴らしさを延々と説いてきた。
いつ終わるかもわからない話に、私はただ愛想笑いを浮かべるしかなく、苦行の時間を過ごすこととなる。
1時間経過した頃、ようやく話に区切りがつき、これでようやく解放されると安堵したのだが、実際はここからが本番だったのだ……。
帰り支度をする私に、オコエ似はこう切り出してきた。
「勤行は正しく行わなければ意味がないので、今から先生のやり方を見にきてください」
やばい……この流れは。
宗教に疎かった私は、この時になってようやくこれが宗教の勧誘だと察することになる。
「お金は一切かからないので安心してください」
突然、それまでオコエ似の話に同調するだけだった青年までもが身を乗り上げて誘導してきた。
先程までの穏やかな雰囲気は一変して、二人はギラギラと私に迫ってくる。
「いや、明日も仕事なんで今日は無理です……」
さすがの私も、ここでついて行けば取り返しのつかない事になるのは想像できた。
すぐにこの場を立ち去ろうと何度も断りを入れるが、「5分しか掛からないので」「帰りは車で家まで送って行くので」、などと二人はしつこく食い下がってくる。
このままでは埒が明かない……。
そう判断した私は、「明日なら大丈夫です」と告げ、手を打ってもらった。
もちろん、これは逃げるための口実である。
嘘をつくことに多少は罪悪感を感じたが、この時はそんなことを言ってられる場合ではなかった。
喫茶店から出た後、オコエ似は私に向かって「では、また明日ここで待ってます」と強い口調で念を押してきた。
その時の酷く冷めきった表情は、未だに忘れることができない。
こうしてなんとか解放された私は、急いでその場を立ち去るのだった。
騙して行う宗教勧誘は相手の心を傷つける
帰りの電車の中、私は今日の出来事を思い起こし、酷くやるせない気持ちになった。
カレーを食べに行きたい、というのは真っ赤な嘘で、最初から宗教勧誘が目的で呼び出されたのだ。
騙されたという事実に、私の心は酷く傷ついた……。
なにより、青年の「友達がいない」という言葉に同情し、誘いに乗った私の善意が踏みにじられたことが許せなかった。
釈然としない気持ちを抱きながらも、連絡だけはしておこうと、私は青年に断りのメッセージを送る。
案の定、青年は食い下がってきたので、そのままやむなくブロックした。
【「誠実に生きる」とはどういうことか】で話したように、誠実に生きることを信念としている私としては、本当はこういった不誠実なことはしたくないのだが、今回ばかりは仕方がない……。
どう断っても、彼は私の意思を受け入れてはくれないのだから。
後日、ネットで調べてわかったのだが、私が今回経験したことは、宗教の勧誘では定番のパターンらしい。
最初は道聞きや趣味のことで何気なく話し掛け、打ち解けてから食事に誘い、後からもう一人連れてくる。
宗教勧誘は二人一組でするのが基本になっているようだ。
もし今後、あなたも似たようなことがあれば、くれぐれも宗教の勧誘には気をつけて欲しい。
ただ、誤解しないで欲しいのは、私は宗教自体を否定しているわけではない。
人が何を信仰するかは自由である。
その宗教が「心のよりどころ」になっているのなら、その人にとってはなくてはならない物だろう。
しかし、それを他人に強要することはあってはならない。
ましてや、騙して宗教勧誘するなどもってのほかだ。
もし、あなたが何かの宗教を信仰しているのなら、相手を騙すような真似は絶対にしないでもらいたい。
騙して宗教に勧誘しても、その相手は救われるどころか、心に深い傷を負うだけである。
宗教を信仰するかどうかは、自分の意思で決めてこそ意味があるのだから。
どうか、そのことをくれぐれも忘れないでもらいたい。