あなたは偉大な成功者を見て、何を感じるだろうか。
「なんて凄いんだ! 尊敬してしまう」
単に、その人物に憧れを抱くだけなら何も問題はない。
しかし、多くの人はこれだけに収まらない。
その人物が成功した裏側を想像するからだ。
「これだけ成功してるんだ、裏ではきっと物凄い努力や苦労をしてるに違いない」
この思考が、どれほど正常な判断を狂わせることになるか……。
きっと多くの人は考えたこともないだろう。
今回は、その思考が人の心理にどれほどの悪影響を及ぼしているのか、また物事を客観視できないことがいかに危険なのかを説明する。
何故、人は成功者の裏側を想像するのか
人は何故、成功者を見ると、その裏にはとてつもない努力や苦労を背負っていると考えるのだろうか。
それは一つに、努力して手に入れた成功の方が美しいと感じるからだ。
白鳥は優雅に泳いでいるように見えても、水面下では必死に足をバタつかせている。
この例えのように、私達は無意識に陰で努力をしている成功者に惹かれてしまう。
一つの例を紹介しよう。
私がサッカー日本代表のドキュメンタリー番組を見て気づいたことだ。
現代サッカーには、「ユース(U-18)」と呼ばれるプロの下部組織がある。
この組織は、18歳以下のプロ予備軍を育成するものであり、ここに入団できるのは極一部の優秀な選手だけだ。
いわば、サッカーのエリート集団である。
入団資格が18歳以下のため、選手は高校時代にユースに入団するか部活に入部するかを選択しなければならない。
よって、現在の日本代表選手達は、ユース出身と部活出身の者が混在している状況だ。
そのことで一つ、両者には明確な違いが見られた。
それはドキュメンタリー番組内で、部活組は恩師や部活仲間の出演、詳細なエピソードが語られるのに対して、ユース組はほとんどその部分に触れられていないことだ。
部活動の方が話をまとめやすい、という理由もあるかもしれないが、大きな理由は視聴者のウケがいいからだろう。
やはり、ユース組からは順風満帆なエリートのニオイがしてしまい、そこには努力や苦労といった泥臭さを感じられないのかもしれない。(実際はユースも厳しいです。)
このことからもわかるように、私達日本人は、成功するためには努力や苦労が絶対条件であることを無意識に受け入れ、そうでないものには拒否反応を起こしてしまうのである。
それは漫画やドラマを見ても、主人公は一度挫折し、そこから逆境をバネに這い上がる、という展開が多いのが何よりの証拠だ。
これが、私達が無意識に成功者の裏側に着目する正体である。
成功者になるためには努力や苦労は本当に必要なのか
成功者の裏側には必ず努力や苦労がある。
この思考の危険なところは「成功するためには努力や苦労をしなければいけない」と思い込むことだ。
これは逆にいえば「努力や苦労をしない成功はありえない」ということになる。
つまり、もし仮に自分が努力や苦労なしに成功できるとしても、そのことを受け入れることができなくなってしまうのである。
このような思考を持つ人は、もはや成功することが目的ではなく、努力や苦労することが目的となっており、最悪の場合は「本来しなくても良い苦労や努力」を自ら呼び込むことになってしまう。
だが断言するが、成功者の全てが必ずしも努力や苦労をしているわけではない。
例えば、お金持ちになることが成功と考えている人は、仕事や投資の勉強を必死に頑張り、お金を増やそうと努力するはずだ。
しかし、そんなことをしなくても、お金持ちの家系にさえ生まれれば、なんの努力も苦労もなしにお金が手に入る。
極端なことをいえば、世界一お金持ちと言われているビルゲイツの子供に生まれさえすれば、その時点で世界一の成功者だ。
努力や苦労をすることが成功の絶対条件だと信じて疑わない人にとっては、このことは非常に受け入れ難いだろう。
だが……残念ながらこれは真理である。
もちろん、何を持って成功とするかは人によって違う。
しかし、どんな分野にせよ、必ず努力や苦労なしに成功してしまう人は一定数いるのだ。
それは【天才は自分が天才であることを認めるべき】で話したように、この世には生まれながらにして「天から才能を授かった人」が存在するからだ。
プロスポーツ選手になることが成功ならば、生まれながらの才能だけでプロになった者もいるし、芸能人になることが成功ならば、親が芸能関係のコネを持ってるだけで他の者とは雲泥の差がでる。
大きなことから小さなことまで、努力や苦労では埋められない差というのは必ず存在する。
なんて不公平……。
そう……この世は不公平なのである。
しかし、それでもあなたにはそのことを甘んじて受け入れてもらいたい。
そうしなければ、あなたは永遠に誤った倫理観の中で生きることになってしまうからだ。
それがいかに危険なことか、次項ではその理由を話す。
成功者は努力や苦労をしている、という考えが危険な理由
前項では、成功とは努力や苦労なしに得られることもあり、この世がいかに不公平であるかを説いてきた。
私がさんざんそのことを力説し、どうしてもその認識をあなたにしてもらいたい理由……。
それは、そうしなければ他者を間違った倫理観で責めることになるからだ。
「成功するためには努力や苦労をすることが絶対条件」
この考えをすることで、最も恐ろしいのは「成功していない者は努力や苦労をしてない」と決め付けしまうことだ。
努力や苦労をすることが成功の絶対条件なのだから、その逆、つまり成功していない者は何も努力や苦労を味わっていない、ということになる。
当然だが、努力や苦労をしたからといって必ず成功できるわけではない。
しかし、努力や苦労をすることが成功の絶対条件という考えでは、そのことを認めることができないのだ。
実は、この倫理観は過去の私が持っていた。
昔の私も、成功とは努力や苦労を乗り越えた先にあり、努力や苦労をすれば必ず誰もが成功できると信じていた。
その思考を持っていた時は、成功していない者を見ては「あいつは努力や苦労をしてないから当然だ」と決め付けていた。
だが、今になって思う。
その思考になった原因も、根本的には世の中は不公平だということを認められなかったからだ。
まだ視野が狭かった私は、努力や苦労をすれば、どんなことでも必ず成し遂げられると信じていた。
いや……そう思い込みたかったのだ。
心の中ではそうではないとわかっていたのに、それを認めることが恐かったのである。
だからこそ、成功していない者にはそれだけの理由があると思うことで、そのことから目をそらしていた。
しかし、何度も言うが、成功は努力や苦労なしに得られることもあるし、その逆で、努力や苦労をしても成功しない場合もある。
恐らく、世の中の多くの人が成功に対して間違った認識をしている理由も、過去の私と同じように、世の中の不公平さを認めることが恐いからだ。
だが、そのことを認めなければ、永遠に物事を客観視することはできない。
凝り固まった偏見は、やがて過去の私と同じように、身勝手な倫理観で他者を批判することに繋がってしまう。
そして、このことにはもう一つ重大なことが含まれている。
実は、成功には努力や苦労が絶対に必要だと思うことで、一番「得」をするのは「努力や苦労なしに成功を手にした人」なのだ。
なぜなら、成功者というだけで世間は「努力や苦労をした」と勝手にみなしてくれるからだ。
一方で、どんなに血の滲む努力や苦労をしても、成功していなければ努力や苦労をしていない怠け者と扱われてしまう。
私は、このことは絶対にあってはならないことだと思っている。
たしかに世の中は不公平だ。
しかし、このことは皆が「成功」に対して、正しい認識をすれば是正できることである。
間違った認識を持っているせいで、成功していない者を怠け者扱いし、身勝手な決めつけで咎めることは絶対にしてはならない。
そのことを正すためにも、一人でも多くの者が成功に対しての正しい認識を持つ必要がある。
どうか、あなたもそうならないように、くれぐれも気をつけてほしい。
最後に、「努力や苦労をすれば必ず成功するわけではない」と話したが、その努力や苦労が無駄だとは思わない。
結果だけではなく、その仮定にもちゃんと意味はあるのだから。
目標に向かって精一杯やったことで見えてくるものがある。
だからこそ、成功ということだけにとらわれず、物事を客観視する力を養ってもらいたい。
この記事に辿りついたあなたには「物事を客観視できる人」になってほしい。
そう私は切に願っている。