近年、人々のテレビ離れが加速している。
現代社会は昔に比べてテレビを見ない人が増えており、それに伴って各局では視聴率の低下が続いている。
2018年3月には、その象徴とも言える出来事が起こった。
なんと、長寿番組である『めちゃ×2イケてるッ!』や『とんねるずのみなさんのおかげでした』が放送終了となったのだ。
終了とは名ばかりで、実際は視聴率低下による打ち切りだろう。
かつては最高視聴率30%を記録したこともある人気番組だったが、そんな番組ですらこのような事態に陥ってしまうのだ。
やはり、巷で言われているように、国民のテレビ離れは深刻なようだ。
一体、その原因は何なのか。
今回は、テレビが衰退した理由について、私なりの考察を述べたい。
視聴者とテレビ業界のギャップ
まず第一の理由として挙げられるのは、テレビが世間のニーズに合っていない、ということだ。
昭和時代、まだテレビが盛んだった頃は、社会全体にも活気があった。
だがバブルが崩壊し、平成に入ると、国民の生活はどんどん苦しくなっていく。
「ネカフェ難民」「リストラ」「派遣切り」「大企業の倒産」など、昭和時代には考えられなかったことが次々と社会現象になるほどだ。
そんな状況でも、テレビ業界だけは昔のまま何も変わらなかった。
テレビを点けると、芸能人が高級レストランで食事をしたり、海外ロケに行ったりと、昔のバブル時代を彷彿とさせる番組ばかりが流れている。
そんな光景を見ていると、テレビに映る世界がまるで別世界の出来事のように思えてしまうのだ。
自分はこんなにも毎日の生活に追われているのに、芸能界は気楽だなぁ……。
正直に言って、自分の現状とテレビのギャップにシラけてしまうのである。
人によっては、そのことで腹立たしさを感じることもあるだろう。
そうして、だんだんとテレビに興味が薄れ、最後にはテレビから完全に離れてしまうのだ。
テレビは娯楽と言われているように、見る側に「心のゆとり」がなければ楽しめないのである。
つまり、現代社会はテレビを見るほど「心のゆとり」を持っている人が減っているのだ。
音楽の世界でも、気分が落ち込んでいる時は明るい曲よりも暗い曲の方が好まれるという。
これと同じ現象が、今の視聴者とテレビの間にも起こっているのではないだろうか。
テレビがつまらない理由
もう一つの理由は、純粋にテレビがつまらない、ということだ。
これは巷でもよく言われていることだが、実際問題として、私もこれは大きな要因だと思っている。
というのも、私自身が「めちゃイケ」の最終回を見て、昔と今のテレビの違いを感じたからだ。
今回、めちイケが最終回ということで久々に見たのだが、意外にも「おもしろい」と感じた。
正直、とても打ち切りされるような番組には思えなかった。
だが、冷静に考えてみると、これは当たり前なのかもしれない。
なぜなら、今回のめちゃイケでは「昔のめちゃイケ」が再現されていたからだ。
最終回ということで、過去に苦情が多くて終了となった人気コーナーを続々と復活させていた。
もちろん、これは再び苦情が入ることを覚悟の上でだ。
これで最後ということで、まさに恐いものなしという心境だろう。
しかし、私はテレビがつまらなくなった理由はここに隠されていると感じた。
そう感じたのは「Mの三兄弟」というコーナーを見ていた時のことだ。
このコーナーでは、揚げたてのイカリングを加藤浩次の背中に乗せるという演出があった。
本来なら「食べ物を粗末にするな」と苦情が入るところだろう。
だが、今回はそれを見越してか、加藤浩次は床に落ちたイカリングを自分で食べ、「俺の背中に乗せたイカリングをただ俺が食っただけ。文句ないだろ」と、苦情がくることを牽制するような発言をしていた。
この加藤浩次の発言からもわかるように、今のテレビは視聴者からの苦情に非常に敏感になっているのだ。
たしかに、このイカリングの件に関しても、「食べ物を粗末にするな」という苦情は至極真っ当な意見だろう。
しかし、これが仮にイカリングではなく、熱した鉄リングだとしたら、果たして笑いは起きるだろうか。
いや、間違いなくそれはないだろう。
なぜなら、「おもしろい」という感情よりも「痛々しい」という気持ちが勝り、見てる側からすると、まるで加藤が拷問を受けているかのような印象を受けるからだ。
やはり、純粋に「おもしろさ」の側面だけを追及すれば、「イカリング」は必要なのである。
つまり、テレビがつまらなくなった原因は、私達視聴者による苦情が招いた結果とも言えるのではないだろうか。
全ての苦情に配慮して番組を作れば、アクが弱い番組になるのは必然なのだから。
ただ、ここで一つ疑問が残る。
昔も今と同じく苦情はあったはずだが、なぜ昔のテレビは面白さを持続することができたのか。
私は、その大きな理由はネットの普及が関係していると思っている。
ネットの普及により、視聴者とテレビの距離感は急速に縮まった。
最近では、ツイッターにハッシュタグをつけ、視聴者のコメントをリアルタイムで流す番組もある。
だが、これは逆に言えば、テレビ側は視聴者から批判を受けやすくなったとも言える。
昔も苦情を入れる人はいただろうが、それは本当に熱意のある人だけだったはずだ。
多少のことならば、わざわざ電話を掛けてまで苦情を入れようとは思わないのだから。
せいぜい、その手の不満は身内で話して完結である。
だが、ネットが普及してからは、そのような「身内で消化していた層」が発信権を持ってしまったのである。
匿名掲示板、Twitter、Facebook、ヤフコメなど、今ではありとあらゆるところで自分の意見を発信することができる。
その影響で 、昔とは比べ物にならないほどの苦情や批判の数がテレビに押し寄せられるようになったのだ。
このことにより、テレビ側は自由を奪われ、徐々につまらなくなっていったと考えられる。
もちろん、中には建設的な意見もあり、番組製作の向上に役立つこともあるだろう。
しかし、昔なら問題にすらならなかった些細なことでも、今の時代では苦情の対象になり兼ねないのである。
これも時代の流れとはいえ、おもしろい番組を求めていたはずの視聴者が「テレビをつまらなくする要因」に加担していることは、少なからず悲しみを覚えてしまう……。
テレビを活性化させるために必要なこと
今後、テレビが昔のように活性化するためには何が必要なのか。
それにはまず、視聴者のニーズに合った番組を作ることが大切である。
昔よりテレビが衰退したと言っても、今でも視聴率が高い番組は存在するのだ。
製作側が視聴者のニーズに合う番組を作るように心掛ければ、自然とテレビは昔のように活性化するだろう。
では、今の視聴者がテレビに求めているものとは何なのか。
私が思うに、それはリアリティだ。
例えば、2017年に放送された『地球征服するなんて』の「ナスD」の南米アマゾン探索は、非常に視聴者のウケが良かった。
私も実際にリアルタイムで見ていたが、あの時は久し振りにテレビにかじりついたのを覚えている。
それほどまでに、他の番組とはワクワク度が違った。
後日、ネットで番組の感想を調べてみても、おおむね私と同じ意見が多かった。
やはり、今の視聴者はヤラセなしのリアリティを求めているのだ。
思えば、『黄金伝説』の1ヵ月1万円生活も、始まったばかりの頃は途中でリタイアする芸人も多かったが、今では達成することが当たり前となっている。
恐らく、これも演出の一貫なのだろうが、こういった結論ありきの演出は今の視聴者には非常にウケが悪い。
今の視聴者は、良くも悪くも目が肥えているのである。
ヤラセ(に近いこと)はすぐに察知してしまう。
製作側は、そのことを十分に考慮して番組を作らなければならない。
一度でもヤラセと判明すれば、視聴者はたちまち離れて行くだろう。
そして、もう一つ大事なことはネットの活用である。
前述したように、今はネットの弊害で、昔に比べて番組の自由度が大分減ってしまった。
ならば、逆にネットを活用すればいいのである。
近年、「AbemaTV」などのネット放送が勢いづいている。
2017年に放送された『72時間ホンネテレビ』で元スマップの三人(稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾)と森且行が夢の共演を果たしたように、地上波でできない企画はネット放送で流せばいいのだ。
もちろん、スポンサーの関係もあるだろうから、地上波の放送は今まで通り当たり障りのないものにする。
その上で、地上波で放送できない部分をネットTVで補うという形式を取ってみてはどうだろうか。
こうすれば視聴者の入口を二つ設けられるし、どちらかに興味を持てばもう片方にも目を向けるはずだ。
いずれにせよ、テレビが昔のように活性化するためには、昔のままのやり方では通じない。
時代が変われば「在り方」も変わる。
テレビは今こそ在り方を変える時なのだ。
そのことに早く気づいた放送局が、昔のように面白い番組を作ってくれることを期待したい。