才能、それは選ばれた人間が生まれつき持っている特定の能力。
先天的なものであり、決して努力で得られる物ではない。
まさに、天から与えられた恵である。
自分の才能を発揮すれば、その分野では他者より圧倒的に秀でることができる。
しかし、自分の才能を見つけることは簡単なことではない。
目に見えないだけに、手探りで探すしかないからだ。
だが、それだけの労力を伴っても、才能は見つける価値がある。
自分に秘められた才能を見つければ、それだけで人生は楽に生きられる。
反対に、どんなに素晴らしい才能を持っていたとしても、その才能を見つけられなければ意味はない。
そこで今回は、あなたの才能を見つけるための方法を伝授する。
簡単にできる感覚
才能を見つけるために、最も簡単な方法は自分の感覚である。
具体的に言えば、物事がすんなりとできる感覚だ。
人が難しいと思っているのに、何故か自分には簡単に思える。
苦手、難しいという感覚がまるでない。
これこそが、まさに才能を持つ者の感覚である。
もちろん、器用貧乏という言葉があるように、中には才能がなくても「そつなくこなせる人」もいる。
よって、「簡単にきできる感覚」があるからと言って、その人が一流になれるとは限らない。
しかし、少なくとも「普通の人」よりは才能があることには違いない。
この感覚が「ある」と「ない」とでは、スタートラインに圧倒的な差が生まれる。
それは【天才は自分が天才であることを認めるべき】で話したように、同じ努力をしても、結果に何倍もの差が表れるということだ。
日本ではあまり受け入れられない考えだが、残念ながらこれは真理である。
よって、自分の才能を早く見つけることができれば、それだけで人生を実りある物にできる可能性が高くなる。
そのためにも、「簡単にできる感覚」を感じた分野を忘れてはならない。
どこにあなたの才能が眠っているかわからない以上、常に感覚を研ぎ澄ましている必要がある。
自分の隠れた才能を見つけるためには、「簡単にできる感覚」は必須だ。
人に誉められる
自分の才能を見つけるためのもう一つの方法は、他人に誉められることだ。
自分では才能がないと思ってる分野でも、人から見れば「才能がある」と思われることは案外多い。
第三者から見た客観的な評価の分、その信憑性も高い。
これもまた、才能を見つけるために有効な方法の一つだ。
ただし、一つ注意しなければならないのは、誉められた相手が誰であるか、ということ。
いくら誉められると言っても、その評価がお世辞である可能性もあるため、そこは注意して見極めなければならない。
誉められて注意すべき相手の代表例は、自分の親である。
親は自分のことをわかっているようで、実はわかっていないことが多い。
子供の幸せを願うばかりに、どうしても私情を挟んでしまうからだ。
特に、将来性のないことや、危険なことなど、親が子供にやらせたくない事には無条件で「NOサイン」を出すだろう。
これでは本当の才能を見つけることはできない。
では、どのような相手の評価なら信頼できるのか。
それは、その道のプロの評価である。
プロであるがゆえに、その道については誰よりも厳しい目を向けているため、そのような人に誉められれば、あなたは間違いなく才能があると言えるだろう。
もちろん、相手がプロでなくても、誉められる機会が多ければ、それだけで信憑性は増すことになる。
自分の才能を見つけるためには、周りの声に耳を傾けることも大切だ。
不得意なことを把握する
自分の才能を見つけるうえで、一つ注意しなければならないことがある。
これは才能を見つけるためには絶対に必要なことなので、心して聞いて欲しい。
それは、努力して手に入れた能力は才能とは関係ない、ということだ。
人間は学習する生き物であり、どんなに苦手な事でも、ある程度の時間と練習を積めば上達するものだ。
そうして、いずれ周りより秀でることで「自分には才能があるかもしれない」と思う時がくる。
しかし、それはアクマで努力で手に入れた後天的なものであり、才能が関与しているわけではない。
前述したように、本当に才能がある状態とは、何も手を付けていない状態でスムーズにできる感覚だ。
後から上達したとしても、最初の状態で苦戦していれば、残念ながら才能があるとは言えないだろう。
もちろん、いくら才能を持っていたとしても、それを磨かなければ才能の価値は発揮されない。
しかし、努力してようやく人並みになれるレベルでは、到底その道で大成などできない。
大切なのは、アクマで初期の状態で「簡単だ」と思える感覚である。
逆説的なことではあるが、才能がない分野を見つけることも、自分の才能を見つけるためには必要なことである。
そのためにも、まずはあらゆる分野に挑戦することが大切だ。
日本では、物事を途中で投げ出すことを否定的に考える人が多いが、私はそうは思わない。
不得意なことを続けても、それは本人にとって時間の無駄である。
それでは、せっかく持っている自分の才能を埋もれさせてしまうことになる。
自分が「これだ」と思える分野に出会えるまでは、一つのことにしがみつかず、あらゆる分野に挑戦してもらいたい。
才能がない分野に進むことは無駄なのか
自分の才能がある分野に進めば、それだけで人生は楽になる。
これは間違いない。
ただし、その才能が必ずしも自分の興味がある分野とは限らない。
中には、興味がない分野に才能があることも決して珍しくはないのだ。
そのことで「才能がなければ好きな分野に進んではいけないのか」と疑問に思う人もいるだろう。
結論から言えば、私は「それも一つの正解」だと思っている。
【幸せになるために絶対に必要な考え方】でも話したように、幸せの価値観は自分で決めるものだからだ。
たとえ自分に才能がある分野でも、その道に進んで「幸せ」だと感じないのなら、人生の尺度で考えれば全く無意味なことである。
それならば、才能がなくても自分の好きな道に進んだ方が良い、と私は思う。
ただし、その道に進むのなら、一つだけ心に留めておかなければならないことがある。
それは、苦労することが多くなる、ということだ。
前述したように、才能を持っている者と持っていない者では、スタートラインで明らかに差が生まれる。
才能のない者が、才能のある者に追いつこうとすれば、普通の何倍もの努力をしなければならない。
時には、そのことで挫折を強いられることもあるだろう。
それは【自分に自信がない人が確実に「自信」をつける方法】でも話したように、自信を失うことに繋がってしまう。
私がここまで才能を見つけることにこだわるのも、あなたにそのような思いをしてもらいたくないからだ。
人は生まれつき平等ではない。
才能とは、それが顕著に表れるものだ。
苦労してようやく人並みになれる分野より、最初から秀でている分野の方が人生は絶対に楽である。
もし、それでも好きな分野に進みたいと思うなら、才能のある者より苦労する覚悟を持つ必要がある。
その覚悟が持てないならば、やはり自分の才能を見つけることに専念する方が得策だろう。
才能を活かすことが世の中のためになる
私は、才能を持っている者は、それを活かすことが使命だと思っている。
それが自分のため、ひいては世間のためになるのである。
近年、将棋界に現れた新生、藤井聡太がそのいい例だ。
羽生名人以来、日の目を見ていなかった将棋界も、今や彼の躍進でブームとなるほどだ。
人に影響を与える、これこそが「才能を活かす」ということだ。
そのためには、自分の才能を見極めなければならない。
自分はどの分野で人に影響を与えられるのか。
どの分野なら大成できる可能性があるのか。
才能のない分野に進んでも、人に影響を与えるどころか、誰の目にもとまらない。
言い方は悪いが、それは代わりの者は他にいくらでもいる、ということである。
そうではなく、あなたにしかできない「何か」を掴んでもらいたい。
そうすれば、自ずとあなたは周りに影響を与えられるようになるだろう。
どうかあなたも、自分の才能をを活かす方向に進んで欲しい。
あなたが自分の才能を早く見つけられることを、私は切に願っている。