「世の中には二種類の人間がいる」の二種類とは何か

人を二種類に分けた言い方には、様々なものがある。

勝ち組⇔負け組、利用する者⇔利用される者、強者⇔弱者、等。

これらは言い方は違えど、結局のところは第三者からの主観でしかない。

だが、私はこれらの分け方は、人の本質をついていないと考える。

本来、人を二種類に分ける要素は人の中身であり、もっと厳密にいえば人種(タイプ)だと思っている。

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人を分類する二種類とは

私が考える二種類とは、繊細な人間鈍感な人間かである。

繊細な人間とは、言葉の通り心が傷つきやすく、常に色々なことを気にするタイプの人間だ。

一方、鈍感な人間とは、ちょっとやそっとのことでは傷つかない、言い方を変えれば図太い人間のことを指す。

あなたはどちらのタイプに当てはまるだろうか。

恐らく、このサイトに訪れた人の大半は、繊細なタイプに分類されると思われる。

かくいう私自身も繊細な人間だ。

一見、この分け方には何の意味があるのかと思われそうだが、これは人生を考察するうえで、とても大切な要素である。

では、その理由を順に説明していく。

繊細な人間の障壁

繊細な人間、鈍感な人間、どちらが人生を楽に生きられるかと聞かれたら、間違いなく後者の鈍感な人間だ。

繊細な人間は、常に物事を深く考えてしまう。

「あの人に嫌われていないだろうか」

「仕事はちゃんとできているだろうか」

「自分は生きる価値があるのだろうか……」

ほんの些細なことでも傷つき、この世の終わりのように気分が落ち込んでしまう。

例えば、仕事でミスを犯し、上司から注意される場面では、上司の方からすれば軽く注意したつもりでも、繊細な人間にとっては自分を全否定された気分になってしまう。

これは仕事に限らない。

友人関係、親子関係、師弟関係。

繊細な人間は、ありとあらゆる場面で気を張り続けなければならないのだ。

それがどれほど生きる上で労力を使うのか……あなたが繊細な人間なら共感できるはずだ。

だが、この気持ちは決して鈍感な人間にはわからない。

鈍感な人間と繊細な人間は決して分かり合えないのだ。

繊細な人間は鈍感な人間に憧れる

繊細な人間は、普通に生きているだけで鈍感な人間より労力を使う。

実は、そのことは繊細な人間である本人も十分に理解している。

そのため、繊細な人間は鈍感な人間に憧れる傾向が強い。

私の友人もその中の一人だ。

彼は、人から批判や中傷まがいのことを言われた時に、えらく気丈に振舞う癖があった。

「別に何を言われても関係ないし」

その立ち振舞いは、端から見れば尋常ではないほどに冷淡だった。

一見すれば気が強い人間に見える。

しかし、私はすぐに察した。

彼が本当は、繊細な人間であることを。

どんなに気丈に振舞おうが、同じ繊細な人間はそのニオイを感じ取ってしまう。

彼は私の予想通り、案の定、繊細な人間だった。

一度だけ、彼とは今回のテーマについて話す機会があり、そこで彼は本音を話してくれたのだ。

「鈍感な人間が羨ましい……」

そう語った彼の表情は、心底もどかしそうだった。

彼は繊細な自分を受け入れることができず、自分は鈍感な人間なのだと必死に自己暗示をかけていた。

だが、それは所詮見せかけの演技でしかない。

本物の鈍感な人間とは程遠い感性だ……。

残念ながら、繊細な人間は決して鈍感な人間にはなれないのだ。

繊細な人間の強み

私の友人のように、鈍感な人間に憧れを持つ繊細な人間は多い。

だが前述したように、繊細な人間は、絶対に鈍感な人間にはなることはできない。

そもそも、自分を「繊細」だと認識している時点で、それはもう鈍感な人間ではないのだ。

鈍感な人間の行動は、その瞬間の気持ちに焦点を当て、決して深く考えることはない。

よって、過去の後悔や先の不安に捉われることも少ない。

これは、繊細な人間からすれば本当に羨ましいことだ。

しかし、私は繊細な人間であることを悲観する必要はない、と思っている。

何故なら、繊細な人間には、繊細な人間であるがゆえの強みがあるからだ。

それは、相手の気持ちに敏感になれること。

鈍感な人間は、傷つくことや悩みに鈍感で、生きるうえではたしかに楽だろう。

だが、それは逆に言えば、他人の心にも鈍感なのだ。

傷つくことや悩みを抱えないということは、相手の傷ついた心、抱えている悩みの辛さを共感することができない、ということだ

自分でその感情を経験したことがないのだから当然だろう。

つまり、相手の心を共感できないことは、他人との間に心の溝ができるということ。

最悪の場合は、そのせいで相手から「心の壁」を作られることになるかもしれない。

だが、鈍感な人間はそれすらも気づくことができないのだ……。

これは、ある意味では本当に悲しいことだ。

そう考えれば、繊細な人間であることは決して悪い面ばかりではない。

だからこそ、繊細な人間は、自分が繊細であることを誇りに思い、相手の立場を想像し、思いやる気持ちを重視してもらいたい。

一人一人がその意識を持てば、いつの日か、繊細な人間が生き易い世界へと生まれ変わるはずだから。

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