諦めることの大切さ

「諦める」という言葉について、あなたはどのような印象を抱くだろうか。

恐らく、大半の人は「否定」や「ネガティブ」なイメージを連想するはずだ。

特に、この日本においては、諦めることは「逃げ」「努力不足」だと認識される傾向が非常に強い。

だが、果たして本当に諦めることは悪いことなのだろうか。

いや、私は決してそうは思わない。

むしろ、諦めることは、時に人を救うことにも繋がるのだ。

今回は、多くの人に諦めることの本当の意味を知ってもらうため、諦めることの大切さについて語りたい。

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諦めることを「悪」とする価値観の弊害

多くの人が共有している「諦めることは悪いこと」という価値観は、学校教育で培われたものである。

日本の学校教育は、全員が一律に同じことをすることを主眼として作られている。

皆で同じ授業を受け、皆で同じ行事をこなし、皆で卒業する。

ある意味、協調性を養うためには優れている教育と言えるが、このことで一つ大きな問題が起こってしまう。

それは、全員が平等である、と思い込んでしまうことだ。

だが、それは間違いである。

【「成功者は努力や苦労している」という間違った考え方の危険性】でも話したように、人は決して平等ではない。

生まれ持っての才能、家庭環境、身体能力、何一つとして同じではないのだ。

しかし、皆で一律に同じことをすることで、そのことに気づきにくくなってしまうのである。

周りができているのに自分はできない。

やがて、その原因を自分のせいだと思い込むようになってしまう。

当然、それは自信を失うことにも繋がるし、時には、そのせいで他者から愚弄されることもあるだろう。

だが、本当はたまたまその人にはその分野が合っていなかっただけであり、全ての責任が個人にあるわけではないのだ。

生まれ持った資質や能力は人によって違う。

そのことを考慮せずに、「努力をすれば誰でも同じ結果がついてくる」という考えはひどく傲慢である。

そういう人達は、努力を妄信するあまり、大事な本質が見えなくなってしまっているのだ。

例えるなら、それは努力という名の呪縛だ。

もちろん、努力が全く無意味というわけではない。

天才でもない限り、最初から何でもできる人などいないし、努力は確実に成功の可能性を上げる要素である。

しかし、努力をすれば必ず結果がついてくる、という考えは、上の者を傲慢にさせるだけでなく、下の者を余計に苦しませることになる。

大事なことは、「努力をしても全ての人が同じ結果に繋がるわけではない」という認識をしっかりと持つことである。

どうか、あなたも努力という名の呪縛にとらわれないでもらいたい。

「人は皆生まれた時から平等ではない」という認識を持つことこそが、真の平等に繋がるのだから。

そして、この考えを持つことで、初めて「諦める」ことを正しく認識できるようにもなる。

もし、諦めることを正しく認識できれば、あなたは人生を一気に好転させることができるだろう。

次項では、諦めることで得られるものについて語りたい。

諦めることで得られるもの

物事がうまくいかない人が、人生を好転させるためには何が必要か。

その答えは、できないことをすぐに諦めることである。

なぜなら、諦めることで、その人は大切なことを掴むことができるからだ。

それは、他の道に進むことができる、ということ。

前述したように、人は決して平等ではない。

しかし、多くの人はその事実から目をそらし、「努力すれば必ず結果はついてくる」と信じるからこそ、人生に苦しむことになる。

もし、行き詰った時にすぐにその道を諦め、他の道に進む選択を持てたなら、その人はの分野で成功できるかもしれないのだ。

つまり、言い換えれば、諦めることができない人は、自分の人生を潰すことにもなりかねないのである。

その一例を紹介したい。

私がアルバイトで出会ったNという人物についてだ。

当時、Nは年齢29歳、公務員を目指している公務員浪人だった。

大学卒業後、就職せずにずっと公務員浪を続けてきたらしい。

過去7度の試験に落ち、それでも諦めきれずに公務員試験の勉強を続けてきたが、さすがに親から働けと言われ、渋々アルバイトを始めたようだ。

Nは仕事中、毎日のように「自分は本当はこんなところにいる人間ではない」と愚痴をこぼしていた。

時には、あたかも自分が公務員になったかのように「公務員としての在り方」を私に説いてきたこともある。

そんなNの態度に周囲は呆れていたが、Nは何故か誇らしげな顔をしていた。

恐らく、周りの人間を見下していたのだろう。

Nの価値観は、「公務員以外はまともな仕事ではない」というものだったから。

だが、私には、Nは内心では焦っているように感じたのだ。

なぜなら、Nは今年で公務員試験の年齢制限に掛かってしまうからだ。

一度だけ、Nに「もし今年公務員試験に落ちたらどうするのか?」と聞いたことがある。

しかし、Nは「落ちることはありえない」と全く話に取り合わなかった。

まるで、自分が公務員になることは決定事項であるかのような素振りだった。

だが……案の定、その年もNは公務員試験に落ちた。

その後、Nはすぐにアルバイトを辞め、それと同時に連絡先も消えてしまった。

風の噂では、その後は行政書士の資格勉強に切り替えたと聞く。

しかし……恐らくは、その目標も実現しないだろう。

なぜなら、所詮Nの動機は公務員試験からの妥協なのだから……。

そもそも、Nが公務員になりたかった理由は「人から尊敬される仕事」に就きたいというものだった。

それならば、他にも道はいくらでもあったはずだ。

もし、Nが早く公務員になることを諦めることができていたら、その未来は十分にあっただろう。

だが、「公務員」という肩書きに執着するばかりに、その可能性を失ってしまったのである。

Nのように、一つのことを諦められないばかりに、結果的には大きな損失を被ることもあるのだ。

特に、年齢制限がある資格は気をつけた方がいい。

年齢制限がある資格は、結果が出なければ、それまで勉強してきたことが全て無意味になってしまう危険性を孕んでいる……。

近年、司法試験の受験資格が改正された。

法科大学院課程修了後、受験資格の有効期限が5年間と定められたのだ。(2018年現在)

もし、この5年間のうちに合格できなければ、受験することすらできなくなってしまう。

もちろん、再度法科大学院に入り、その課程を修了すれば受験資格は得ることができるが、何度も大学院に入るなど、よほどの経済力のある家庭でなければ無理な話だ。(厳密には司法試験予備試験に合格して受験する方法もある)

はっきり言って現実的ではない。

つまり、表向きには言わないが、これは「諦めて他の道へ進め」という上からのメッセージではないだろうか。

この改正は、当の受験者達には不評のようだが、私は優しさだと思っている。

ネットを見ると、司法浪人で何十年も時間を費やしている人達がいる。

昔は今と違い、受験の期間や回数に限りがなく、何年でも司法試験に挑戦ることができたからだ。

だが、何年も受験して合格できない人がいる反面、わずか1回の受験で合格する人もいるのだ。

残酷なまでに結果は才能の違いを示してしまう……。

仮に何年費やしたとしても、結果的に合格できればいいが、そうでなければ、その人は諦めることができなかったばかりに、その後の人生を余計に苦しむことになる。

受験資格の改正は、そのような悲劇を起こさないために行われたのではないかと私は考えている。

たとえ司法試験は駄目だったとしても、他の道に進めば成功できるチャンスはいくらでもあるのだから……。

諦めることは決して逃げることではなく、人生を好転させるための通過儀礼なのである。

もし、あなたも今目指している道に成功の可能性を感じないなら、どうか諦めることを否定的に捉えずに、積極的に他の道を模索して欲しい。

遠回りに見えても、それが人生を好転させるための近道なのだから

片思いを諦めることの大切さ

諦めることで好転できることは他にもある。

それは恋愛だ。

【恋愛依存(片思い)の恐怖と克服方法】でも話したように、人は恋をすると世界が輝いて見える。

その恋が両想いになれるなら何も問題はない。

だが、残念ながら、多くの場合は片思いで終わってしまう。

そういう時、人は恋の副作用を受け、片思いの相手に執着してしまうのだ。

「自分にはこの人しかいない」とばかりに相手を必要以上に美化してしまう。

この恋の副作用もまた、あなたの人生に大きな損失をもたらすことになる。

なぜなら、あなたの運命の相手を見過ごすことになるからだ。

恋愛とは、当たり前だが二人で育んでいくものである。

片方だけが想いを寄せても、決して恋愛には発展しない。

つまり、片思いの相手を諦められないということは、本当は結ばれるはずだった運命の相手との出会いを潰してしまうことになるのだ。

本来、成就する恋愛とは、恐ろしいほどスムーズに発展していくものである。

苦しい思いばかりが続くなら、それはあなたにとってふさわしい相手ではないということ。

あなたも本当は薄々気づいているはずだ。

想いを寄せる相手が、自分に振り向いてくれないことを……。

しかし、そうわかっていても、好きな相手を諦めることは容易ではない。

きっと、あなたもその葛藤に苦しんでいることだろう。

その苦しみは仕方がないことなのだ……。

好きという気持ちは、それほどまでに強いエネルギーを持っているのだから……。

ただ、安心して欲しい。

その苦しみは永遠ではないから……。

今はまだ「この気持ちは一生変わらない」と思っているかもしれない。

だが、その想いは幻想である。

恋の副作用は、必ず時間が解決してくれる。

どんなに好きな相手でも、時間を掛ければ必ず心の隙間は空けられる。

そうして心の隙間が空いてくれば、自然と次の恋に進む気力も沸いてくる。

だからこそ、「自分にはこの人しかいない」などと意地を張らないで欲しい。

世界には、星の数ほどの男女がいる。

今はまだ、あなたは運命の相手に出会えていないだけ。

その相手に出会えれば、自然とお互いが惹かれ合うだろう。

そのためにも、まずは今の片思いに区切りをつけなければならない。

それが運命の相手に出会うための最初の一歩である。

諦めるために必要な心構え

ここまで話してきたように、諦めることは決して否定的なことではなく、その人を他の道へいざうための通過儀礼なのである。

可能性の低い道にしがみつくよりも、自分が成功できる道に進んだ方が人生はよほど有益に過ごせるのだ。

しかし、可能性が低いとわかっていても、多くの人はそのまま道を変えずにしがみついてしまう。

それは一体なぜなのか……。

その理由は、「今までの時間を無駄にしたくない」という思いが強いからだ。

人は、自分が今まで掛けてきた時間労力に対して、思うような成果が出ない時、そのことへの執着が高まってしまうのだ。

『これだけ費やしてきたのだから必ずもうすぐ成果が表れるはずだ』

内心では成功の可能性が低いことを悟りながらも、「もしかしたら」という期待を寄せ、「もう少し、もう少し」といつまでもしがみついてしまうのである。

だが、残念ながら、その状況から成果が得られることはほとんどない。

最終的には、気づくのが遅かったとばかりに、さらに絶望に苛まされることになる。

そうならないためにも、大事なことは損切り」の考えを持つことである。

損切りとは、これ以上ダメージが大きくならないように損失を確定させること。

本来は株の世界で使用される言葉だが、これは人生においても非常に大切なことだ。

あなたが「今まで費やしてきた時間や労力を無駄にしたくない」と思う気持ちはよくわかる。

誰だって損はしたくない。

しかし、そこで損を取り返そうとしても、あなたの貴重な時間をさらに消費するだけである。

最悪の場合、それはあなたの輝かしい未来の可能性までも失わせることになってしまう。

人生は、過ぎた過去を悔やむよりも、可能性のある未来を模索する方がよほど大事なのだ。

どうか、そのことを忘れずに、これからは可能性を感じないことにはすぐに諦めることを心掛けて欲しい。

それでも、「どうしても損したことが許せない」という人には発想の転換を試みてもらいたい。

「これだけ損した」のではなく「これだけで済んだ」と。

今まで費やしてきた時間や労力を「損した」と捉えるか「教訓」として捉えるか、全てはあなたの考え方次第なのだ。

当然、後者の捉え方をした方が、未来の可能性は格段に広がる。

自分の過去をすぐには受け入れられないかもしれないが、【「人生をやり直したい」過去の後悔を消す方法】でも話したように、幸せになりさえすれば必ず受け入れられるようになる。

私のことでいえば、おかげさまで、このブログを通して私の思想に共感してくれた読者の方から励ましや応援のメッセージを頂くことができた。

そのメッセージを読む度に、私の今までの挫折や苦悩は無駄ではなかったのだと救われた気分になった。

だが、その気持ちを感じることができたのも、もとをただせば私が「普通の道」を諦めたからである。

もし、私が普通の道を諦めずに、今でも世間でいう「真っ当な生き方」に執着していれば、このブログが生まれることはなかっただろう。

私は物事を両立できるほど器用な人間ではないから……。

諦めることで他の道が見えてくる。

どうか、そのことを忘れずに、あなたも自分が輝ける道を模索して欲しい。

あなたが諦めることを正しく受け入れ、輝ける道に進めることを、私は切に願っている。

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