「一人が好き」な人の苦悩と葛藤

私は一人が好きである。

どれくらい好きかと言えば、誰かと一緒にいるよりも一人でいる時間の方が幸せを感じられるほどだ。

現に、私は2021年に仕事を辞めて、その翌年の2022年はほとんど一人で過ごしてきた。

人と会ったのはたまにだけで、一年のトータルで換算しても365日のうち2割程といったところだ。

世間から見たら完全に引きこもりと言われる分類だろう。

だが、私はこの一年間「寂しい」と感じたことがほとんどないのだ。

それどころか精神が物凄く安定していた。

ごく稀に寂しいと感じることもあるが、それでも一年のうちに数日だけである。

大半の日々は一人でいても全く苦痛ではなく、むしろ心地よい気分で過ごしていた。

これはやはり、私が一人でいることを好むソリタリー気質の人間だからだろう。

週5のフルタイムで働いていた時は毎日ヘトヘトになり、休日は全く動けないというサイクルを繰り返していたが、あれも今考えると人と会いすぎていることが一番の要因だったのかもしれない。

私の感覚としては、人と会うのはたまにだけで十分なのだ。

割合で言えば、一人で過ごす時間と人と会う時間は8:2がベストである。

しかし、当然そんな一人が好きな人間には悩みも多い。

今回は、私のような「一人が好き」という人間の実態を知ってもらいたく、一人が好きな人の苦悩葛藤を語りたい。

スポンサーリンク

周りに理解されない疎外感

まず第一に、一番辛いのはこの感性を他人に理解されないことだ。

「自分は一人でいることが好きだ」と公言しても、大半の人にそれは「虚勢を張っている」と思われてしまう。

どんなに自分の性質を力説しても、それを心から理解してくれる人間はあまりいない。

世の中の大半の人にとっては、それは理解できない感性だからだ。

もっとも、これはある意味では仕方のないことではある。

人間は古来より群れで生活してきたため、私達のDNAには一人でいることを「寂しい」と感じるように組み込まれているのだ。

なので、どちらかといえば「一人が好き」という感性を持っている人の方が異質(少数派)であることは間違いない。

残念ながら、その事実は受け入れなければならない。

ただし、理解できないというだけで収まってくれればいいのだが、問題なのは「一人が好き」という人間を「劣等種」として迫害しようとする傾向があることだ。

「一人が好き」という感性をその人の性質として捉えるのではなく、間違った思考行為だとして、それを正そうとするのである。

世間では人と関りを持つことこそが「良し」とされていて、一人でいることを「悪」とする暗黙の空気がある。

子供の頃に習った「友達100人できるかな」という歌が示すように、多くの人と関係を作ることこそが「正しい行い」だと私達は幼少の頃から教え込まれてきた。

その影響からなのか、「一人でいる」ということを「悪いこと」だと瞬間的に決めつけ、そういった人達を徹底的に排除しようとする動きが強い。

こうした背景もあり、「一人が好き」という人間は自分の性質を堂々と公表することができない。

公表すれば異常者として扱われ、迫害を受ける可能性があることを自覚しているからだ。

結果的に一人が好きな人間はますます疎外感を感じるのである。

偽りの自分を演じる苦悩

苦悩はこれだけではない。

先程の件と似ているが、世間には一人が好きな人の居場所があまりないことだ。

現在の世の中の仕組みは、その大部分が「人と触れ合うこと」を前提として作られている。

学校、部活、会社、結婚、親戚付き合い、イベント行事。

どの枠組みにおいても、人と触れ合わなければ居場所がないようにできている。

その枠から外れれば異端者として扱われ、周りから哀れみ蔑みの目で見られるようになる。

ひどい場合は更生という名目で本人が望んでなくても無理やり人と関わらせようとする輩もいる。

あたかもそれが正義と言わんばかりに……。

結局のところ、一人が好きな人間が波風を立てないように生きていくためには「普通の人間」を装うしかないのだ。

偽りの自分を演じなければ生きていけない苦悩。

一人が好きな人間の気苦労は耐えない。

ただ、最近では若者を中心に個人の思想生き方が尊重されるようになってきている。

昔からの慣習を重視する人間には不評のようだが、ある意味ではこれは一人が好きな人間にとっては追い風である。

願わくは、このまま「自分は一人が好き」ということを堂々とさらけ出せる世の中になってもらいたい。

「このままでいいのか」という葛藤

そして最後にもうひとつ。

それは一人が好きな人間は「本当にこのままでいいのか」という自責の念に駆られることだ。

自分では一人が好きだと自覚していても、どうしても心の中に葛藤が生まれる。

特に、世間でよく言われている「若い頃はいいけど年を取ってから一人だと大変だ」と独身者に投げ掛けられる言葉。

この言葉を聞く度に、なんとも言えない焦り迷いが生じることがしばしばある。

「普通の人」とは違い、本人は特にそれを望んでいないにも関わらず、将来を不安視するあまり「無理にでも結婚した方がいいんじゃないだろうか」と葛藤するジレンマ。

この苦悩も一人が好きな人間ならではのものだろう。

ただ、これに関しては、私なりにひとつの答えが出ている。

私の解釈では、本当に一人が好きな人間には先程の言葉は当てはまらないと思っている。

なぜなら、ここで言われている「対象者」はあくまで普通の人を指しているからだ。

詳しく説明する。

まず、「若い頃はいいけど」という部分に関してだが、これは若い頃は自分の周りにも同じように独身者が多い、ということが起因していると思われる。

よって、結婚していなくても友達と遊んだり、恋人と過ごしたりと孤独を感じる機会がほとんどないのだ。

だが、年を重ねるにつれ、周りには結婚する人も増え出し、付き合っていた恋人も結婚しなければいずれは別れることになる。

そうしていくうちに、気づけば周りに気軽に会える人間がいなくなり、年を取ってから自分は孤独だと感じるようになるのだ。

その時になって、初めて「若い頃はいいけど年を取ってから一人だと大変だ」という言葉が身に染みる、という構図である。

つまり、ここで言われている人達は、元々孤独耐性がない普通の人なのである。

ただ単に結婚という縛りを嫌い、不特定多数の異性や友達と遊びたい、というような人物だ。

しかし、ソリタリー気質の人間はそうではなく、純粋に「一人でいるのが好き」なのである。

根本的に前者とは意味合いが違うのだ。

もちろん、これはあくまで私の考察なので、実際のところはわからない。

もしかしたら、私も将来独り身でいた時は、寂しいと感じるのかもしれない。

だが、それでも「今」の段階ではそうは思えないのだから仕方ない。

仮に将来一人が寂しいと感じたとしても、将来の不安を解消するために結婚する、という考えは、私には同意できない。

それは将来の不安のために今を捨てることと同義だからである。

結婚はあくまでそういったネガティブな動機ではなく、純粋に結婚したいと思った相手とするべきだと私は思っている。

自分の性質を受け入れることの大切さ

時々「普通」の感性を持った人を羨ましいと思うことがある。

大勢での飲み会やレジャーを楽しみ、誰かと長時間一緒にいても苦にならない。

そんな「普通」の感覚があれば、どれだけ生きやすいことか。

そんな人生に憧れを抱く時もある。

「今からでもそうなればいいじゃないか」という声が聞こえてきそうだが、それは無理な話だ。

この感性は生まれ持っての性質なので、変えようと思っても変えることはできない。

無理に変えようとすれば、それは必ず反動で精神に支障をきたすことになる。

なぜなら、ソリタリー気質の人間はそこに幸せを感じないのだから。

しかし、逆に言えば「一人が好き」という人にも、普通の人には感じられない幸せを感じることができる強みがある。

一人で過ごすことに幸せを感じられる人間は、普通の人とは違い、孤独感に苛まされることはほとんどない。

だからこそ、一人で物事を成し遂げる力が十分に備わっている。

その強みを活かすことこそが、ソリタリー気質の人間が社会に貢献できる一番の近道だと私は考える。

ひいては、それが自分の使命を果たすことにも繋がると信じている。

元々、普通の人とは違う性質なのだから、普通の人と同じような生き方ができるはずがないのだ。

一人が好きな人間は、まずは自分がソリタリー気質であることを受け入れて、自分にしかできないことに精一杯励むこと。

たとえそれが、世間から見れば惨めだと思われたとしても。

「一人が好き」な性質に生まれた人には、必ずその意味がある。

だからこそ、一人が好きな人間は自分の性質にもっと誇りを持って生きてもらいたい。

いつの日か、あなたが堂々と「一人が好きだ」と周りに公言できる人間になれることを、私は切に願っている。

スポンサーリンク

シェアする

フォローする

スポンサーリンク