逃げること、それは悪いことである。
逃げることにに関して、多くの人はこのように悪いイメージを持っている。
しかし、本当にそうなのだろうか。
いや、私は決してそんなことはないと思う。
逃げることは悪いことではなく、それは強さだ。
もし、あなたが逃げることに対してネガティブな印象しかないのなら、その考えは今すぐ改めてもらいたい。
今回伝えることは、そんなあなたの固定観念を解放するきっかけになれるはずだ。
逃げることが悪いと思う心理
逃げることは悪いことじゃない。
そう断言できるのは、私自身がそのことを身を持って体感したからだ。
実は、昔の私も逃げることは「悪いこと」だと思っていた。
逃げる奴は弱い、責任感がない、負け犬。
今となっては恥ずかしいが、当時は本気でそのように思っていた。
途中で逃げる奴を見ては、本気で軽蔑していたほどだ。
そんな私の考えが変わったきっかけは、幼馴染であるTの存在だ。
小学校時代、私とTは同じ少年野球のチームに所属していた。
お互いエースと4番の座を競い合い、良き友であり、ライバルの関係でもあった。
当時は二人共、将来は本気でプロ野球選手を目指そうと思っていたほどに、本気で野球に打ち込んでいた。
自分でいうのもなんだが、あの頃の私は、今とは違って熱血漢だった。
だが中学に入ると、その心地よい関係は崩れることになる。
中学に入り、私もTも当然のことながら野球部に入部した。
「ここでも前と同じように、チームの中心人物となるべく頑張ろう」
そう心に闘志を燃やし、胸に希望を抱いて入部した。
だが、その部活生活は私が想像していたものとはかけ離れていた。
運動部に所属していた者ならわかると思うが、部活には上下関係がつきまとう。
それまで、ただ野球だけを楽しんでいた頃とは違い、先輩や監督に対する人間関係に気を使わなくてはならなくなる。
特に、私が所属した野球部ではそれが際立っていた。
挨拶の声の大きさ、やる気、覇気ある行動、それらを少しでも疎かにすれば容赦なく罰を受ける。
罰の内容は主に、ビンタやケツバットなどの体罰だ。
今でこそ問題になるかもしれないが、当時は誰もそのことに疑問を抱かなかった。
そんな部活生活を送るにつれ、私の中で、途端に野球に対する情熱が失われていく。
辞めたい、もう行きたくない。
心の中で毎日そんなことを呟き、放課後が近づくにつれ、どんどん気分が落ち込んでいく。
だが、辞めることは逃げだと考えていた私は、それでも嫌々ながらも毎日通っていた。
これを耐えればきっと良いことがあるに違いない。
そう自分に言い聞かせることだけが、あの頃の自分の原動力だった。
しかし、そんなある日、当時の私にとってはこれ以上ないほどに衝撃的な事態が起こる。
なんとTが部活を辞めたのだ。
それも、まだ入部してから、わずか2ヶ月足らずのことである。
ショックだった……。
少年野球の頃から同じチームでプレイし、プレイベートでもよく遊ぶ仲だったTならば、きっと自分と同じ考えを持っていると信じていたからだ。
私はすぐさまTに理由を尋ねた。
Tのことだ、きっと辞めなければならない仕方ない理由があるはずだ。
そうTを擁護していた私だったが、Tが辞めた理由は、私の予想だにしないことだった。
なんと、Tはテニスをやるから野球部を辞めると言い放ったのだ。
信じられなかった……。
あれ程までに情熱を注いできた野球をあっさりと辞めるなんて。
私はTに心底失望した。
結局、テニスをしたいというのもタダの言い訳で、野球部の厳しさに耐えられなくなっただけだ。
私はそう決めつけ、その時からTを見下すようになる。
しかし、そんな私の思惑とは裏腹に、Tはテニス部で毎日楽しそうに過ごしていた。
そんな姿を横目に、私は変わらずの辛い部活生活を過ごす。
それでも絶対にTのように逃げないということだけを信念に、なんとか耐えていた。
そんな私にも、その信念を覆す転機が訪れることになる。
投げ込みのしすぎで肩の剥離骨折を起こし、ドクターストップが掛かったのだ。
この時の正直な感想として、私はホッとした……。
これで堂々と部活に行かなくていいのだと。
結局、私はそのまま部活を辞めることになる。
だが、辞めた後も罪悪感は消えることがなかった。
その理由を、私は数年先になって初めて知ることになる。
逃げることは強さ
前述したように、私もTと同じように結果として逃げることになった。
だが、Tと決定的に違うことは、逃げたことに対する負い目を感じていたことだ。
この負い目を持つことが、それ以降の人生にも多大な影響を及ぼすことになる。
それは私とTのその後を見れば一目瞭然だ。
私は野球部を辞めたことをずっと引きずっていた。
いくらドクターストップが掛かったとはいえ、野球部に所属していることはできたのだ。
最悪、投げられないのなら代打専門という手もあっただろう。
だが、私はそれをしなかった。
それは心の隅で、ずっと野球部を辞めたいと願っていたからだ。
一方のTは、辞めたことに対して一切負い目を感じていない。
Tはその後も、高校、大学とテニスを続け、学生生活を謳歌していた。
私の方はといえば【「自分で決断する」ことは人生で一番大切なことである】でも語ったように、辛い学生生活を送ることになる。
実のところ、あの時も転校するチャンスはあったのだ。
しかし、私はそれも逃げだと感じ、そこでも耐えてしまった。
その結果、学生生活を棒に振ってしまった。
つまるところ、私の最大の失敗は逃げることが弱さだと思っていたことだ。
逃げ出すことは弱い奴がするものだとずっと思ってきた。
しかし、本当はそうではなく、弱いから逃げられなかっただけなのだ。
話を中学時代に戻すと、あの時、私が野球部を自分で辞めると言い出せなかった理由は単に恐かっただけだ。
辞めると言い出したら、監督、先輩、親などに何て言われるか……。
仮に辞められたとしても、チームメイトから裏切り者として見られるのではないかと、そのことがたまらなく不安だった。
その本当の気持ちを隠すために、逃げない自分は偉いと自己暗示をかけていたのだ。
だが、本当の強さとは、Tのように自分の気持ちに正直になれる人のことである。
Tも、たしかにテニスをやりたいと言ったのは野球部を辞める口実だったのかもしれない。
しかし、それでも自分で無理だと判断したら、すぐに野球部を辞めることを実行した。
それは紛れもない心の強さなのである。
そして自分で逃げると決めたら一切引きずらない。
だからこそ逃げることにも意味があるのだ。
私のように、逃げた後も罪悪感を持ち続けてしまうことが一番よくないのだ。
私はそのことになかなか気づけず、何度も同じ失敗をした。
習い事やバイトでも、自分には合わない、辛い、と感じつつも中途半端に耐えては結局辞めることになる。
そうして自分自身に嫌気が差し、自己嫌悪に陥る始末。
そのようなことを何度も繰り返して、ようやく私は逃げることは意味のあることなのだと自覚することになった。
ずっと弱い奴だと思っていたTが、実は強い奴なのだと、その時に初めてわかったのだ。
逃げることへの正しい認識
私の体験談からわかるように、逃げることは決して弱いことではない。
しかし、多くの人はそのことを認めようとしない。
これには、この辛さを乗り切った先に良いことがあるという根拠のない倫理観を信じているからだと思われる。
思えば、私達の教育は基本的に「耐えること」が美徳とされている節がある。
その影響で、どんなに辛い状況でも、なかなか弱音を吐くことができない人が数多く存在する。
近年、話題になっているブラック企業の問題がまさにそれだ。
中には過酷なブラック企業で働くことで、精神を病んだ者が自ら命を落とす事例まで発生している。
彼等の心境を想像すると、本当にいたたまれない気持ちになる。
だが、それも突き詰めれば彼等が逃げなかったことが原因だと言わざるをえない。
勘違いしないでもらいたいが、私はブラック企業を擁護する気は毛頭ない。
しかし、自ら命を落とそうと思いつめるまでに精神を病み、それでも働く意味がどこにあるのだろうか。
私には彼等の心境が手に取るようにわかる……。
中学時代の私のように、自分の本当の気持ちよりも先に間違った倫理観を優先しているのだ……。
残念ながら、それは紛れもない彼等の心の弱さだと言わざるをえない……。
もし、あなたも逃げることを悪いことだと思っているのなら、その考えは今すぐ改めてもらいたい。
辛い状況を耐えても、その先には何もないのだから。
もちろん、スポーツの過酷な練習のように、どんなに好きなことをしていても辛いと思う時はあるだろう。
だが、それは自分の目標の通過点だからこそ意味があるのだ。
ただ単に辛いことを耐えても、そこには何も意味はない。
くれぐれもそのことを勘違いしないでもらいたい。
一人でも多くの人が「逃げること」に対して正しい認識を持つようにと、私は切に願っている。