お金がないと心に余裕がなくなる。
近頃の私はそのことを肌で感じていた。
ここ最近は出費が多く、一時は通帳の残高が5ケタを切るほどだった。
こうなると途端に焦りが生じ、お金欲しさに普段はあまりやらないキツイ肉体労働にも率先して手を伸ばすようになる。
ただ、その時ふと思ったのだ。
お金がないとどうして心に余裕がなくなるのだろうか、と。
生存に関わることなのだから当たり前と言えば当たり前なのかもしれない。
しかし、現在の私は実家暮らしであり、最悪の場合はお金がなくても生きていけるのだ。
にも関わらず、お金がなくなると心に余裕がなくなってくるのである。
つまり、お金がなくて心に余裕がなくなる原因は、生存欲求以外にも理由があるのではないか、と考える。
そう考えた時、一つの疑念が浮かび上がってきた。
もしかしたら、その原因は、私自身が心に余裕がなくなる行為をしていたからなのかもしれない、と。
そこで今回は、私なりに結論付けた「お金がないと心に余裕がなくなる本当の理由」を話すことにする。
お金がないと心に余裕がなくなる理由
突然だが、お金がない時にあなたはどのように対処するだろうか。
恐らく、多くの人が真っ先に思いつく方法は節約だろう。
お金がないのだから、節約して少しでも手元のお金を残そうと考えるのは当然だ。
だが、実はこれこそが心に余裕がなくなる理由だと私は考えている。
というのも、ここ最近の私も節約に精を出していたからだ。
欲しい物があっても我慢し、食事も極力安い物で済ますなど節約に励んでいた。
すると、最初こそお金を節約できていることに喜びを感じていたのだが、しばらく経つと、途端に心が荒らんでくるのを自覚することになった。
なんて窮屈な暮らしなんだろう……。
思わず、心の中でそう呟いてしまった。
その時、気づいたのだ。
お金がないと心に余裕がなくなる理由は、自由を失うからなのだと。
多くの人は、心に余裕がなくなる原因を「物が得られないこと」だと考えている。
たしかにそれも要因の一つだろう。
しかし、もっと深刻なことは「選択する自由」を失うことにあるのだ。
お金があれば、好きな物を食べられるし、住まいや着る服も自由に選ぶことができる。
だが、反対にお金がなければ、それらが強制的に決められてしまうのである。
極論を言えば、お金さえあれば労働時間すら減らすこともできるのだ。
まさに、お金があれば好きなことだけをしてを生きていけるのである。
逆に言えば、お金がなければそれだけ選択肢が狭まることを意味する。
自分の意思が反映されにくくなる。
これこそが、お金がないと心に余裕がなくなる正体である。
自分の欲求をひたすら我慢し、心を抑圧し続けるのだから当然の結果だろう。
お金がなくて心に余裕がない時にしてはいけないこと
そうは言っても、本当の意味でお金に余裕がある人など少数だろう。
「失われた30年」と言われているように、昨今の日本では日々の生活に追われてる人が非常に多い。
中には「心の余裕はお金持ちだけの特権だ」と諦めてる人もいるかもしれない。
しかし、実は心の余裕と物理的なお金の「ある」「なし」はそこまで関連性がないのだ。
前述したように、心の余裕がなくなる原因の大部分は節約から始まっていることが多い。
自分の欲望を抑えることで、心の余裕が徐々に失われていくのである。
ならば、その逆の行動をすればいい。
つまり、我慢せずに好きな物にお金を使えばいいのだ。
「何をふざけたことを言ってるんだ!」とお叱りを受けそうだが、私は至って真面目に答えている。
お金がない時にはあえてお金を使う。
これはとても大切なことである。
なぜなら、心の余裕はお金以上に価値があるからだ。
厳密に言えば、心の余裕を失ったら、二度と本当の意味で「お金持ち」にはなれないのである。
【「本当のお金持ち」になるために必要な考え方】でも話したように、本当のお金持ちは自分の好きなことにお金を使うことを一切ためらわない。
使えるお金に余裕がある、ということもあるだろうが、それ以上に大きな理由はお金の恐怖から解放されているからである。
私が一番恐れていることは、節約することで「お金の恐怖」を心に植え付けてしまうことだ。
お金の恐怖に支配されてしまえば、たとえ大金を手に入れたとしても、そのお金を使うことができなくなってしまうのである。
以前、私はとある飲み会で、そのことを裏付ける人物に出会った。
ここではその人物をEと呼ぶ。
Eは必要最低限の物以外には一切お金を掛けない節約の鬼だった。
自分が住んでいるアパートよりも数千円安い物件が見つかればすぐに引っ越し、スーパーの総菜やお弁当は必ず半額になってから買うという徹底ぶりだ。
そんな人間だから、飲み会では終始不機嫌だった。
理由は、この飲み会の会計が割り勘だったからだ。
本来なら、Eは一番安いメニューを頼み、千円くらいで済ますつもりだったのだろう。
しかし、割り勘ということで、どんなに出費を抑えても三千円は超えてしまう。
Eはそのことがどうしても納得できなかったようだ。
そこで、Eは奇策に走った。
運ばれてきた料理を誰よりも率先して食べ出したのだ。
金を払うのだから元を取らなければ損とばかりに、目を血走らせながらひたすらに食べ続けていた。
フライ料理の付け合わせについているレタスですら、誰にも渡さないという勢いで奪っていた。
もはや会話などお構いなしに、終始運ばれてくる料理だけにしか興味がないといった具合だ。
その姿は、さながら獲物を狙う肉食動物のようだった。
さすがの私も彼の行動には少々引いてしまった……。
そこまでして損をしたくないのかと……。
断っておくが、彼は決してお金に不自由しているわけではないのだ。
正社員として働いており、貯金も300万円ほど蓄えていると自分で語っていた。
にも関わらず、たった数千円を払うことにすら抵抗感を持ってしまうのだ。
その大きな理由も、彼がお金の恐怖に支配されているからである。
「お金を使えば大変なことになる」という自己暗示の恐怖が、彼の頭から離れないのだ。
こうなってしまったらもう抗うことはできない。
仮に今後、Eが大金を得る機会があったとしても、彼は本当の意味でお金持ちにはなれないだろう。
物事の価値基準が「お金」になってしまっているのだから。
誤解しないで欲しいが、私は決して彼の生き方を否定しているわけではない。
日頃の節約の努力は認めるし、それで彼が幸せだと感じるなら尊重するべきだろう。
ただ、せっかくの飲み会なのだから、その場くらいはお金を気にせずに純粋に交流を楽しめばいい、と思ったのだ。
人との交流はお金には代えられない価値がある。
お金に執着するあまり、Eはそのことを失念しているのである。
お金の恐怖に支配されると、結果的にはお金以上の損失を被ることになる。
Eとの出会いは、私にそのことを深く実感させるものとなった。
もし、あなたにも思い当たる節があるのなら、今後はお金を使う基準を値段で計らないようにしてほしい。
自分の欲しい物がたとえ高額だったとしても、買うことで心が躍るなら迷わず購入する。
それが、お金の恐怖から解放される唯一の方法だ。
もちろん、自分の使える限度額を超えたり、借金をしてまで買う必要はないが、大抵の人はそこまでを気にする必要はないだろう。
お金が使えない人というのは、Eと同じくお金の恐怖に支配されているだけなのだから。
まずはお金の恐怖をなくし、ちゃんとお金を使えるようにすること、それが何よりも大切なことである。
皮肉にも、それが結果的にお金を増やすことにも繋がるのだ。
「金は天下の回りもの」と言われているように、お金は「お金を使う人」の元へ集まる性質があるためだ。
多くの人は、お金がないから心の余裕がなくなると思っているが、本当はお金を使わないから心の余裕がなくなるのである。
発想が逆なのだ。
だからこそ、私はお金がない時でも、自分の好きなことにはお金を惜しまずに使うよう心掛けている。
あなたも、今の自分に心の余裕がないと感じるのなら、自分の好きなことには積極的にお金を使ってみてほしい。
きっと心が潤ってくるのが実感できるはずだ。
最初は、長年培われてきた「お金を使うことは悪」という価値観のせいで、お金を使うことに罪悪感を覚えるかもしれない。
だが、その癖を直さなければ、永遠に心の余裕を取り戻すことはできない。
心の安定はお金以上に価値がある。
どうか、そのことに早く気づき、お金を使うことでもっと人生を豊かにしてもらいたい。
あなたが一日でも早くお金の恐怖から解放され、心の余裕を取り戻せることを願っている。