「お金の若者離れ」を否定する人達の心理

「若者の〇〇離れ」という言葉は、今ではすっかり馴染み深い言葉となっている。

車、恋愛、旅行、ゴルフなど、その使用用途は様々だ。

だが言葉は違えど、意味するところはどれも同じである。

要するに、世間は若者がお金を使わないことを憂いているのだ。

私は前々からこの言葉には違和感を感じていた。

その違和感が何なのか、つい最近まではわからなかった。

しかし、先日、とある記事を読んでその正体がハッキリした。

それは2018年5月5日に朝日新聞に投稿された『「お金の若者離れ」現実を知って』という記事である。

これを読んだ時、私は初めて世間の認識が逆であることに気づかされたのだ。

私のような立場の人間にとっては当たり前のことでも、世の中にはそれを理解していない人達がいる。

その事実を見落としていたのである。

そこで今回は、「お金の若者離れ」を否定する人達について私の自論を述べたい。

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「お金の若者離れ」に対する上の世代の総意

今回の朝日新聞の投稿内容を要約すると、「すべての若者の〇〇離れの原因は若者にお金が集まらないからだ。そのことを上の世代はもっと理解して欲しい」という切実な訴えだ。

投稿者はまだ20歳の大学生ということで、学生の身分でありながら社会問題を直視していることに私は偉く感心した。

ネットでもこの大学生の訴えには賛同者が多く、概ね20代~40代までの層には好評だったようだ。

しかし、一番訴えを聞いて欲しい上の世代の心にはまるで響かなかったらしい……。

2018年5月7日、それを証明するような出来事が起こった。

高須クリニックの院長である高須克弥氏が自身のTwitter上で下記のような発言をしたのだ。(以下原文ママ)

甘ったれるな若者!
年寄りは君たちくらいの年齢のときはモーレツに働いたんだよ。働きながら君たちを育てたのだ。
君たちの全ての原資は年寄りになった我々からのプレゼントだ。君たちに与えることはあっても奪ったことはない。ハングリーになれ。向上を目指せ。
目覚めて働け若者。

まるで今回の大学生の訴えは聞くに値しないとばかりに全否定である。

当然、この発言には反論も多く、高須氏のTwitterは軽い炎上騒ぎとなった。

ただ、私自身は「あ~やっぱりな……」という感想しか思い浮かばなかった。

もちろん、高須氏のように影響力のある人物がこのような発言をすることは残念で仕方がないが、高須氏に限らず、この世代の大半は今の若者に対して同じような心情しか抱いていないのだろうとハナから思っていたからだ。

そういう意味では、今回の高須氏の発言は上の世代の総意と言っても過言ではないだろう。

結局のところ、上の世代は「お金の若者離れ」の本質を理解していないのだ。

「お金の若者離れ」の本質

では、この問題の本質とは何なのか。

それは現在の社会構造では、若者は個人の努力に関係なくお金が手に入らない、ということである。

世代間格差に関心のある方ならば百も承知だろうが、このことは案外世間には知れ渡っていない。

中でも、よく反論として挙げられるのが「若者はお金がないのが当たり前だ」という意見である。

この意見を述べる人達曰く、「いつの時代でも若者とはお金がないものだ」ということらしい。

たしかに、昔の若者もお金がなかったのは事実だろう。

しかし、現在の若者と大きく違うところは、昔の若者は将来的にはお金を手に入れることができた、ということである。

そして、これこそが上の世代が若者に苦言を呈する理由でもある。

つまり、上の世代が若者の現状を理解していない理由は、現代の若者を自分達の若い頃に重ねているからなのだ。

「自分達の若い頃もお金はなかったが努力してお金を増やしてきた。だから若者も弱音を吐くな!」

これが彼等の心情である。

だが、もうお分かりだろうが、この発言は詭弁である。

なぜなら、現代と昔では労働環境が全く違うからだ。

まず第一に、昔は全員が正社員で働くことができた。

派遣制度フリーターという概念もなく、フルタイムで働くためには正社員以外に道はなかったのだ。

この影響により、昔の労働者は皆が安定を得ることができた。

今のように「正社員」と「非正社員」という区別もなく、全員が同じ雇用条件で働けたのである。

よって、昔は正社員に価値などなかったのだ。

だが現在では、じつに労働人口の約4割が非正規という時代である。

どんな職種だろうと「正社員」という肩書きだけで、ある種のブランド力を身につけることができるほどだ。

このことだけを比較しても、昔と現代では労働環境が大きく違うことがわかるだろう。

しかし、問題はこれだけではない。

たとえ正社員だとしても、その内部事情は昔とは大分異なっている。

それが成果主義制度の導入だ。

これは名前の通り、個人の成果によって賃金が変動するという制度である。

世界的に見れば多くの国で普及している制度であり、この制度自体は決して悪いものではない。

しかし、問題なのはこの成果主義が日本では本当の意味で成果主義になっていないことである。

本来、成果主義とは付加価値分を賃金に上乗せして支払う、いわばプラス評価を基準にして作られた制度だ。

だが日本の場合、何をすれば賃金が上がるという明確な基準がなく、給料は経営者や人事のさじ加減で決まることが多い。

これは言い換えれば、給料を一生上げなくすることもできる、ということである。

昔の日本企業では、一年毎に必ず昇給する年功序列制度が採用されていた。

これは個人の成果に関係なく、勤続年数に比例して全員の賃金が一律に上がる制度である。

優秀な人間にとっては少々物足りなかったかもしれないが、ある意味では最大の保証と言えるだろう。

この制度があったからこそ、日本は一億総中流時代を築けたと言っても過言ではない。

しかし、現在の日本では、昔のように毎年昇給がある会社など一部の大企業くらいなもので、多くの中小企業では滅多なことでは昇給されない。

仮に昇給したとしても、その金額は5千円にも満たない微々たる金額である。

昔とは景気の違いもあるだろうが、大きな理由は前述した成果主義による弊害である。

成果主義を導入することで、企業側は公式に人件費を削減できるようになったのだ。

ただでさえ日本という国は成功よりも失敗に目を向ける性質があり、何事においてもマイナス評価を基準にするきらいがある。

そのような状況下で、成果主義制度が正常に機能するわけがないのだ。

よって、現代の労働者の多くは、給料が一生変わらない可能性が十分にありえるということ。

正社員でもこうなのだから非正社員ならば尚更のことだ。

つまり、上の世代が当たり前に受けられた「正社員」と「年功序列制度」という恩恵は、今の若者にとってはとてつもない希少価値なのである。

これが現代の若者と昔の若者との大きな違いだ。

「お金の若者離れ」を否定する人達の心理

ここまで「お金の若者離れ」の本質について話してきた。

いずれも日本の未来にとっては由々しき問題であり、今回の大学生が訴えるように、上の世代には早急にこの問題の本質を理解してもらいたいと願う。

ただ、実は上の世代の中にも、薄々はこの問題に気づいている人がいるのではないかと私は思っている。

もちろん、多くの人は本当に理解していないのだろうが、高須氏のような優秀な人間ならば少し考えればわかるはずだ。

では、なぜ若者の訴えに耳を傾けないのか。

その答えは、認めてしまえば自分のこれまでの人生を否定されることに繋がるからだろう。

【「成功者は努力や苦労している」という間違った考え方の危険性】でも話したように、成功者とは、とかく自分の努力を誇示したがるものだ。

それは自分の成功が運や環境によるものではなく、自分の力で手に入れたものだと信じたいからである。

今回の件で言えば、もし今の若者の現状が「時代のせいだ」と認めてしまえば、自分のこれまでの努力がなかったことにされる恐れがあるからだ。

必死に努力して手に入れたと思っていた成功が、実は時代の恩恵によるものだったと判明してしまえば、捉え方によっては自分の人生を否定されたと感じるだろう。

最悪の場合、周囲からは「あいつは運だけで成功した怠け者だ」と思われるかもしれない。

自分の今までの苦労や努力を「運」という一言で片付けられるのは、本人からすれば良い気はしないはずだ。

それを避けるためにも、上の世代は頑なに「お金の若者離れ」を否定するのではないだろうか。

もし、仮にそうだとするならば、その考えは今すぐに払拭して欲しいと切に願う。

たしかに昔の若者が時代の恩恵にあずかっていたのは事実だろう。

経済面だけを見れば、昔の若者の方が現代の若者よりもお金を手にしやすい環境だったことは間違いない。

しかし、だからと言って、上の世代の努力が否定されることにはならないのだ。

いくら恵まれていたからと言っても、やはり働くことが辛いのはどの時代でも変わらない。

むしろ、今とは違って結婚を強要された分、仕事へのプレッシャーは現代の若者よりも強かったかもしれない。

優秀な人間ならいざ知れず、私のような社会不適合者にとってはきっと負担の方が大きかったはずだ。

そう考えれば、仕事と家族の両方を背負ってきた上の世代の責任感は、じつに誇り高いものだとわかる。

だからこそ、その誇りを汚さないためにも、上の世代には若者を否定するのではなく、若者がおかれている現状をしっかりと認識して欲しいのだ。

自分達の時代と比べて今の若者が不遇な部分については「時代が関係している」と、しっかりと認めてもらいたい。

昔と違って若者にお金が集まらないのは、明らかに社会構造に欠陥がある証拠なのだから。

それを改善するためには、上の世代の理解は必要不可欠である。

日本を昔のように活性化させるためにも、どうか若者に歩み寄る気持ちを持ってもらいたい。

それこそが、本当の意味での「年功者」だと私は思う。

そして、若者側はもっと自分達の現状をアピールするべきだ。

今の時代にはネットがある。

そのおかげで、昔とは比べ物にならないほど簡単に自分の声を表明することができるようになった。

これを利用しない手はない。

もちろん、それは20代の若者だけでなく、就職氷河期のように不遇時代を生きてきた人達にも言えることだ。

もはやこの問題は若者だけの問題ではなく、すべての労働者にかかわる問題なのである。

私達は今こそ一致団結して世間に訴えかけるべきなのだ。

そのことを心に留め、どうすればこの問題を改善できるのかを一度考えてみて欲しい。

一人でも多くの国民がこの問題に目を向けることを私は願っている。

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