「子供は親の所有物ではない」と認識することの大切さ

世の中には「子供を親の所有物」だと勘違いしてる親が非常に多い。

私はそのことを常々憂えている。

先日もそのことを彷彿とさせる出来事があった。

ネットで毎日新聞に投稿された「努力は実を結ばないのね」というタイトルの投書を目にしたのだ。

投稿者は50代の母親で、自分が子供のためにしてあげた教育が実にならず、思うように子供が育たなかったことを自虐風に述べている。

記事の最後には「努力が全く実を結ばない世界があるってこと、教えてくれてありがとう」と皮肉めいた言葉が書かれており、母親の子供へのやるせない感情が伝わってくる。

これについては賛否両論の意見があるが、概ね子育てを経験した母親には共感者が多いようだ。

つまり、それだけ子供を親の作品のように扱っている親が多いということである。

そこで今回は、多くの親に「子供は親の所有物ではない」ということを認識してもらうため、子育てについて私の自論を述べる。

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子供の人生は親がコントロールできない

まず、私が何よりも世間の親に認識してもらいたいのは、子供の人生は親がコントロールすることはできない、ということだ。

『自分がしっかりと育てなければ子供はダメになる』

多くの親は多かれ少なかれこのような思考を持って子育てをしている。

しかし、これこそが子育てにおいての最大の勘違いである。

断言するが、子供の人生は親がコントロールなどできない。

どんなに親が子供に英才教育を施しても、その子供に素質がなかったり、子供自身がそれを望んでいなければ実にならないのだ。

ただ、こう言うと「いや、そんなことはない!知り合いの〇〇ちゃんは親がちゃんと教育してるからしっかりしている」と反論する人もいるだろう。

その気持ちは充分にわかる。

実際、授業参観で他人の親を見比べても、しっかりしてる子供の親は同じようにしっかりしてる親が多いし、反対にそうでない子供にはやはりそういった類の親であるケースが多い。

そうした実情からも、「子供は親の教育次第で変わるものだ」と思い込んでしまうのも無理はない。

だが、実はこれこそが親の勘違いを生み出している最大の原因なのだ。

なぜなら、親の影響は幼少の頃は強く反映されるからである。

まだ視野の狭い子供にとっては、親の教えは世界そのものだ。

そのため、親の教育には一切疑問を抱かない。

しかし、子供が成長して自我に目覚めてくると、だんだんと自分の価値観が芽生えてくる。

やがて自分の価値観が親の教えとズレていることに気づくと、自分の生き方に疑問を抱くようになるのだ。

親がどんなに厳しいしつけをしても、子供が自分でそれが正しいと思わなければ、いずれは必ず反抗するようになる。

子供はペットではない。

いつまでも親の言うことを盲目的に従うなどありえない。

もっとも、これが本当の意味での「大人になる」ということなのだが、子供を親の所有物だと勘違いしている親にとってはこの事実を受け入れられないのだ。

そうして最後には「自分の育て方が悪かった」と自己完結するのである。

しかし、親がどう教育しようが、子供はなるようにしかならない。

子供と親は全くの別人格なのだから。

考え方や感じ方、価値観が違うのは当たり前のことである。

ましてや、今の時代にはインターネットがある。

どんなに親が子供を縛り付けても、外部からの情報を遮断することは不可能だ。

子供が親の思う通りに育たない理由

子供が親の思う通りに育たない理由は他にもある。

それは遺伝的要素だ。

人の性格や資質は遺伝の要素が非常に強い。

そのため、親が子供にどんなに英才教育を施しても、子供の能力値を伸ばすには限界がある。

生まれつきの資質によって、どうしても差は生まれてしまう。

遺伝要素は大人になればなるほど色濃く反映される。

よく、子供の頃は優秀だったのに大人になるとダメ人間になってしまったという事例を聞くが、それも根本的にはこれが原因だと私は考えている。

やはり、人の人格は環境や教育よりも、遺伝的要素が何よりも影響度が高いのではないだろうか。

実際、私の周囲を見ても、子供の頃は優秀だった人間が大人になると落ちぶれ、逆に何をやらせてもダメだった子供が大人になると大成している事例が非常に多い。

もちろん、幼少の頃から優秀でそのまま大人になっても真っ当な道を進んでいる者もいるが、いずれも世間一般でいう「成功」を収めている人間には共通していることがある。

それは、子供の頃から自我が強かった(自分の考えを持っていた)ということだ。

親の言うことをありのままに受け入れて、流されるままに育った子供が成功している事例を私は見たことがない。

つまり、結局のところ、子供が成功できるかどうかは親の教育よりも子供自身の資質や性格に起因しているということだ。

逆に、親の教えを鵜呑みにして、自分で考えてこなかった子供は大人になってから苦労するケースが非常に多い。

かくいう私自身も、親の言うままに流されて育った人間だ。

幼少の頃から中学生までは誰が見ても優等生な人間だった。

自分で言うのもなんだが、あの頃は今のような大人になるとは思ってもいなかった。

その原因も、元を正せば【「自分で決断する」ことは人生で一番大切なことである】で話したように、親の意見に流されて自分で決断することを放棄してきたことが由来している。

私の親も、冒頭で話した母親のように子育てを後悔している節がある。

今の私の現状をみればそう思ってしまうのも無理はないが、はっきり言ってその感情は子供の立場からすると迷惑でしかない。

申し訳ないとは多少は思うが、やはり私は元々こういった気質の人間なのだ。

育て方を変えたとしても、結果としては大差ない人格になっただろう。

親の教育で子供を変えられるというのは単なる思い上がりである。

子育ては育成ゲームではない。

子供が親の思う通りに育たないのは当然のことなのだ。

親が子供に与えなければいけないこと

では、親の教育は子供に一切影響がないのだろうか。

いや、そんなことはない。

むしろ、親の教育次第で180度変わる事がある。

それは自信だ。

【子育てに悩む親へ教える「正しい子供の育て方」】でも話したように、子供が自信を持てるかどうかは、親の育て方が全てだと言っても過言ではない。

子供が自信を持つためには、まずは自分自身を肯定しなければならない。

そして、子供にとってそれは親から「愛されている」という実感でしか得られないのだ。

近年では、この自己肯定感を持つ子供が少なくなってきている。

それは純粋に「自分を受け入れてもらえた」という実感が乏しいからだ。

そういう子供達は、テストで良い点を取ったら褒められる、習い事で良い成績を残したら喜ばれる、など条件付きの愛情しかもらえていないのだ。

本来、子供が親から愛されることに条件など必要ない。

ただ子供が「存在しているだけでいい」という無償の愛こそが親が子供に与えるべき愛情なのだ。

この感情を幼少の頃に満たされているか、満たされていないかでは、その子供が大人になってからの人生に大きな差が生じることになる。

無償の愛を受けた子供は大人になってからも自己肯定感が強く、何事にもおいても自信を持って行動することができる。

反対に条件付きの愛情しかもらえなかった子供は、大人になってからも一人立ちすることができず、人生に苦しむケースが非常に多い。

特に、ニート引きこもりの人には圧倒的にこのパターンが多い。

自分を心から信じるための「自信」というのは、人生においてそれほどまでに重要な物なのだ。

子育てにおいて、親が子供に自信を与えることは、習い事をさせるよりもよほど大切なことである。

私は、世の中の親にもっとこの事実をを知ってもらいたいと常々思っている。

もちろん、愛するといっても見せかけの愛情では駄目だ。

「愛してる」と口で言っても、子供はそれが真か嘘か簡単に見抜いてしまう。

そのためにも、親は日頃から「子供は親の所有物ではない」と強く認識していなければならない。

その認識がなければ、子供が自分の思う通りに育たなかった時、自分に負い目を感じることになる。

そうではなく、それもまた子供の個性なのだと認めてあげることが大切なのだ。

子供には子供の人生があり、親とは違う人間なのだから。

親に子供を尊重する気持ちがあれば、子供は必ず心を開いてくれる。

どうか、自分の子供を存分に愛してあげて欲しい。

それが子供にとっての何よりの栄養なのだから。

その愛を与えてこなかった親が、子供が大人になってから「自分の思う通りに育たなかった」と愚痴をこぼすのは、あまりにも身勝手である。

世の中の親が、「子供は親の所有物ではない」と強く認識して子育てに励むことを私は願っている。

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