「お客様は神様です」
日本に住んでる者なら誰もが一度は聞いたことがある言葉だが、今、このことに疑問を抱く人が増えている。
先日、それを表面化したような出来事が起こった。
ネットでとある飲食店の営業方法が話題になったのだ。
その店では、客の注文の仕方で料金が変わるシステムを導入していた。
「おい、生ビール」なら1000円、「生一つ持ってきて」なら500円、「すいません、生一つください」なら380円、と店員への頼み方に応じて料金が変わる仕組みだ。
店内には「お客様は神様ではありません。また、当店のスタッフはお客様の奴隷ではありません」という貼り紙もされており、これまでの日本の飲食店では考えないほど斬新な営業方法を取っている。
これについてネットでは「最高の店だ」「これでいい」と歓声を上げる者もいれれば、「気分が悪くなる」「こういう店には絶対に行かない」と否定的な意見を投げかける者もいた。
あなたはどちらの感想を抱いただろうか。
今回はいい機会なので、私の自論を交えて、「お客様は神様」という思想について語りたい。
「お客様は神様」という思想の弊害
早速だが、私は「お客様は神様」という考えには否定的だ。
私自身も過去に接客業をしていた経験があり、そういった態度の客には何度も遭遇してきた。
やはり、そうした客はこちらの神経を逆なでする言動が目立つ。
口調がタメ口だったり、態度が横暴だったりと、明らかに店員を見下しているのがヒシヒシと伝わってくるのだ。
店員も人間であり、そうした客を相手にしていると、時には怒りが込み上げてくることもある。
しかし、店員という立場上、言い返すことができるわけもなく、私はその度にグッとこらえていた。
日本ではどんなに理不尽なことを言われても、基本的に店員は客に対して言い返すことは許されない。
これは店の方針というよりも日本の風潮がそうさせているからだ。
日本に住んでいると、知らず知らずのうちにその感覚が当たり前になってしまうのである。
これはもう日本の闇と言ってもいいだろう。
そもそも、この「お客様は神様」という思想は一体どこからきたのだろうか。
実は、この言葉は元々は演歌歌手の『三波春夫』が「お客様をどう思いますか?」と対談で質問された時に使用した言葉なのだ。
本人としては「舞台の上では心を昇華しなければ真実の芸は出来ない。だからお客様を神様とみて、歌うことが大切だ」という意味合いで語ったのだが、これが世間に曲解されて広まってしまったのである。
三波春夫自身も「そういう意味で言ったのではない」と釈明しており、今でも三波春夫の公式サイトにはそのことが記載されている。
つまり、本来は接客の心得とは何の関係もないのである。
にも関わらず、ここまでこの思想が日本に浸透しているのは、日本人には元来「おもてなし精神」が潜在的に宿っているのかもしれない。
ある意味では、日本人の美徳とも言えるだろう。
しかし、それが有益だったのは昔の話であって、現代社会では明らかにマイナス要素だ。
近年では、この「お客様は神様」という思想のせいで、店員に横暴な態度を取る客が増えている。
当然のことだがお客は神様ではない。
この思想は、明らかに間違っている考え方だ。
私が多くの人に知ってもらいたいことは、日本の接客は海外と比べると、驚くほど丁寧だということ。
海外のコンビニやスーパーを利用したことがある人ならわかると思うが、あちらでは客相手に「いらっしゃいませ」もなければ「ありがとうございます」もない。
大半の店員は無表情で淡々と接客をしている。
だが、それに文句を言う者は誰一人として存在しない。
それが当たり前なのである。
日本で「当たり前」とされている接客は、海外では高級レストランに行かなければまず味わうことができない。
それほどまでに日本と海外では接客の「基準」が違うのだ。
さらにつけ加えれば、あちらの文化には「チップ」という制度がある。
良い接客をすれば、それだけで客から報酬をもらえるのだ。
そう考えれば、無償で高級レストラン並の接客を求められる日本がいかに特殊であるかがわかるだろう。
ある意味では素晴らしいことかもしれないが、社会全体から見れば決して良いこととは言えないはずだ。
客からすれば良くても、働く側からすれば常に負担を強いられることになるのだから。
店員も店の外では一人の客である。
日頃から「お客様は神様」という圧力を受けている人間は、自分が客の立場になった時も、他の店員に同じことを強要しかねない。
「自分もしているのだから他人もそうするのは当然だ」という考えがどうしても頭によぎってしまうからだ。
これではお互いがお互いを監視し合う窮屈な世の中になってしまう。
まさに今の日本の息苦しさの象徴ともいえる事例だ。
「お客様は神様」という思想はこうした弊害を生み出していることを、私達はもっと知るべきなのだ。
日本から「お客様は神様」という思想を取り除くために
そういう意味でも、日本の闇に真っ向からメスを入れた冒頭のお店の試みは、素晴らしいと言えるだろう。
この店をきっかけにして、一人でも多くの人が「お客様は神様」の思想に疑問を抱いてくれるなら、それはとても喜ばしいことだ。
ただし、純粋に私がこのお店のやり方に賛同できるかといえば、答えは「NO」である。
なぜなら、自分が客として行った時のことを想像すると、いい気持ちがしないからだ。
こちらとしてはハナから横暴な態度を取る気はないにも関わらず、最初から疑いを掛けられている気がして悲しくなってくる。
店側の気持ちを十分理解している私ですらそう感じてしまうのだから、接客業を一度もしたことがない人間ならばもっとそう感じるだろう。
さらに言えば、独自ルールを強要されている感じが強くなり、店への不信感が募ってしまう恐れがある。
無理やり丁寧な言葉遣いをさせても、そこには思いやりの気持ちが微塵も感じられず、客と店との信頼関係が芽生えないように思うのだ。
最悪の場合、客と店員の対立を煽るだけになりかねない。
やはり、こうしたことは強要してやらさせても意味はないのである。
とは言ったものの、日本から「お客様は神様」の思想を取り除くためには、最初のうちは強行手段を取るのも致し方ない部分はあるだろう。
理想は「客と店員は対等」という認識を皆が共有することだが、生まれた時から日本に住んでいると、何かきっかけがなければなかなかに難しいかもしれない。
では、どうすればこの問題を解決できるのか。
私は、そのカギはIT化が握っていると考えている。
昨今の飲食店では、タブレットを導入している店が増えてきている。
テーブルごとにタブレットを配置し、それを使って客が自分で注文を行う仕組みだ。
年配者には不評のようだが、私はこの流れは良い傾向だと思っている。
効率性の観点からすれば、店員が一人一人に注文を聞きに行くよりも圧倒的に効率が良い。
なにより、これには注文の間違いで揉めるリスクを減らせるメリットがある。
客の中には、自分の注文間違えを店員のせいにする輩も存在する。
そうした悪質な客に証拠を残せるタブレットでの注文は、トラブル回避に大いに役立つはずだ。
ただ、タブレット否定派の中には「タブレットを使うよりも店員に直接頼んだ方が早い」と駄々をこねる客もいる。
私は、こうした客こそ「お客様は神様」という勘違い思想を持った客だと思っている。
「やり方がわからないからタブレットの使い方を教えてくれ」というのなら話はわかるが、ハナから利用する気がないのだ。
店員の立場を考慮せず、自分からは全く歩み寄ろうとしない。
まさに「自分は神様だからもてなせ」という発想である。
そういう客への対処方法としては、冒頭で話した店のように、注文方法で料金を変える仕組みを導入すればいい。
タブレットでの注文は定価のままにして、店員に注文する場合は手間賃として料金を高くする。
こうすれば、ほとんどの客はタブレットを使わざるをえないだろう。
最初からルール化しておけば、店員も横暴な客に対応しやすいというものだ。
もし、飲食店を経営している人がこの記事を見ていれば、是非検討してもらいたい。
いずれにせよ、今回のように多くの人が「お客様は神様」という思想に関心を寄せることは良いことだ。
過去にも、「マツコ&有吉の怒り新党」で芸人の『有吉弘行』が「お客様は神様です」という客に対して「自分で言うな!バカ」と激怒したことが話題になった。
あの時も、視聴者は有吉の発言に賛同している人が多かった印象だ。
今、日本人の価値観は確実に変わろうとしている。
もしかしたら、日本から「お客様は神様」という思想が完全に取り除かれるのも、遠い未来ではないかもしれない。