私の人生を振り返ると、親や教師の「教え」が人生の役に立ったことはほとんどない。
そんな私でも、唯一「これだけは役に立つ」と断言できるものがある。
それは、挫折は早いうちに経験した方がいいという教えだ。
あなたも、一度くらいはこの言葉を聞いたことがあるだろう。
現在では、面接時に過去の挫折経験を聞かれるほど、このことは重要視されている。
基本的に、私は「努力」や「苦労」には否定的なのだが、この教えだけは理に適っていると感じた。
今回は、この教えの意味を考え、なぜ早いうちに挫折した方がいいのかを話す。
挫折を経験しない人はどうなるか
挫折とは、生きるうえで何かにつまづき、心が折れることを指す。
普通に生きていれば、一度は誰もが経験することだろう。
しかし、何故、早いうちに(若いうちに)経験した方がいいのだろうか。
その一つは、自分を特別だと思う気持ちを抑制するためだ。
想像してほしい。
もし、あなたが生きるうえで一度も挫折することがなかったら、一体どうなるのかを。
きっと、多くの人は驕り高ぶるはずだ。
実は、過去の私がそうだった。
私の人生は、中学卒業まで挫折と呼べる経験がなかった。
勉強もスポーツも、努力せずとも一定水準のレベルはクリアできたし、自分の望むことはほとんど叶えられた。
もちろん、中には失敗することもあったと思うが、心が折れるまでの経験はなかった。
その結果、「自分は特別な存在」なのだと強く認識するようになる。
あの頃を振り返ると、「世界は自分を中心に作られている」と本気で思っていた。
しかし、問題なのはそこではない。
問題は、自分を特別視することで相手を見下すようになることだ。
これは、自分を過度に特別視することで、他の人間を対等だと思えなくなるためだ。
中学卒業までの私は、この気持ちを持つがゆえに、友人に色々とひどいことを言ってきた。
相手の容姿や勉学、運動神経など、様々なことだ。
自分は特別なのだから何を言っても許される、と本気で思っていたのだろう。
当時の友人の気持ちを想像すると、本当に申し訳ないことをしたと後悔している……。
ただ、このように思えるのも、すでに挫折を経験している今だからこそ言えるのだ。
残念ながら、人は本当の挫折を経験しなければ、自分を特別視することをやめることはできない。
その挫折をいつ経験するのかは、人によって異なる。
しかし、その挫折を成人してから味わうのと、若いうちに味わうのでは、人生の影響力が全く違う。
何故なら、子供の頃は許されていたことでも、大人になってからでは許されないことが多いからだ。
先ほどの私の例でいえば、もし、私が成人しても「相手を見下す気持ち」が残っていたのなら、きっと私は「イタイ人間」として、周りから白い目で見られていただろう。
当時は、まだ私が中学生だったため、友人の悪口を言えば当然喧嘩になった。
しかし、だからこそ、それが悪いことなのだと気づくことができたのだ。
大人になってしまえば、周りは誰もそのことを指摘してくれない。
表面上は仲良く装っていても、内心では軽蔑されている。
そんな関係は本当に悲しいことだ……。
そう考えれば、早いうちに挫折することは決して悪いことではなく、その人の人間性を高めるプラス材料と言えるだろう。
挫折する気持ちがわからないことの危険性
挫折を経験しないことで起こる弊害は他にもある。
それは、挫折を知らない人間は挫折した人の気持ちがわからないことだ。
このような場合、最も怖いのは物事を客観視することができなくなること。
【成功の裏には努力や苦労があるという考えの危険性】で話したように、成功とは必ずしも努力や苦労が関与しているわけではない。
しかし、挫折を経験したことがない人は、挫折している人を努力不足と捉える傾向が非常に強い。
なぜなら、物事の全てを自分の尺度で考えるからだ。
自分が努力して達成できたことは、周りも同じだけの努力をすれば達成できると思っている。
そのため、挫折した人間を「根性がない」の一言で一喝してしまう。
だが、一度でも挫折を経験したことがある人なら分かると思うが、挫折とは、そんな簡単に説明できるものではない。
気力、労力、精神力、それら全てを使い果たし、自分の限界に挑み続ける。
しかし、それでも手の届かない壁があることを思い知る……。
その時、ふと頭によぎる「諦め」の文字。
人はそれを受け入れた時、虚無の感情に支配され、後には絶望感だけが残る。
そうした苦悩や葛藤を、挫折を経験したことがない人はわからないのだ。
一見して、これは幸せなことのように思える……。
たしかに、挫折を経験しなければ、辛い思いなどしなくて済むだろう。
だが同時に、それは他人との確執を生むことにも繋がる。
例えば、このような人物が人の上に立つ立場になったとしたら、果たしてどうなるだろうか。
私は、それは本当に不幸なことだと思っている。
なぜなら、人の「痛み」がわからない人間は、周囲の賛同を得ることができないからだ。
他人の気持ち(痛み)がわからない人間は、必ず周囲との摩擦を引き起こす。
そうして次第に周囲の人間は離れて行き、最後には、自分だけが取り残されたような孤独感を味わうことになるだろう。
その原因が自分自身にあることを、その時になって初めて気づくのでは、あまりも遅すぎる。
「裸の王様」のように、それは本当に滑稽なことだ……。
私は、人の上に立つ者には、早いうちに挫折を経験することが最も重要だと思っている。
他人の痛みを理解してこそ、初めて人の上に立つ資格が与えられるのだ。
このように、早いうちに挫折を経験することは、他人との調和性を保つためにも、非常に大切な要素だと考える。
挫折から立ち直れない人の原因
ここまで、早いうちに挫折を経験することが、その人の人生において、いかにプラスになるのかを話してきた。
その理由は、いずれも他人とのコミュニケーションに関わることだ。
しかし、私が思う「早いうちに挫折した方がいい」理由はこれだけではない。
それは他人など関係なく、その人自身に関わることだ。
実は、これこそが最も重要なことであり、私が一番伝えたいことである。
それは挫折への耐性を養えないこと。
人は生きていくうえで、いつかは必ず挫折を経験する。
その挫折を乗り越え、立ち直らせることができるのは自分自身でしかない。
しかし、今まで一度も挫折をしたことがない人は、立ち直るための気力を出すことに非常に時間が掛かってしまう。
立ち直るまでの時間がどれくらい必要なのか、それはその人にしかわからない。
気力が自然と湧き出る時まで、ゆっくりと心を休めればいい。
ただ、人生で初めて挫折を経験する時期が、若い時か成人してからでは、やはり人生の影響力が違う。
若いうちの挫折なら、その後の人生に大いに活かせることができるだろう。
しかし、成人してから初めて挫折を味わうのでは、自分を追い込むだけになり兼ねないのだ。
あなたもニュースで「政治家や大企業の役員が不祥事を起こした際に、自らこの世を去る事例」を見たことがあるはずだ。
これも、根本的には「挫折への耐性」がないことが原因だと思われる。
幼少の頃からエリートとして歩み続けてきた彼等は、恐らく、本当の挫折を経験したことがない。
そのため、一度の挫折経験が彼らの人生を壊す引き金になってしまう。
もし、彼等が若い頃に一度でも「本当の挫折」を経験していれば、きっと違った結末になっていたはずだ。
このように、早いうちに挫折をすることは、挫折への耐性を養い、ひいてはその人の人生を救うことにも繋がるのだ。
過去の挫折経験から学ぶ
人が生きるうえで、一度も挫折を経験しないで済むのなら、それはとても幸せなことだろう。
だが、残念ながら、多くの人生はそのようにはできていない。
前を歩けば、ずっと「青信号」のままという確立は、もはや天文学的な数字だ。
だとするのなら、挫折は早いうちに経験した方がいい。
もし、あなたがすでに本当の挫折を経験しているのなら、それは幸運なことだと思ってほしい。
ここまで話してきたように、挫折経験は必ずあなたの人間性を高めているのだから。
だからこそ、過去の挫折経験を悲観的に捉えないでもらいたい。
過去の挫折を結果として捉えてしまえば、それはただの辛い思い出となってしまう。
しかし、これを成功への過程と捉えれば、人生にとって大きな意味を持つことになる。
過去の挫折を意味のあることにするか、無駄にするかは、あなたの捉え方次第なのだ。
そのことを肝に銘じ、過去の挫折から学んだ教訓を糧にして、是非とも今後の人生に活かしてもらいたい。
一人でも多くの人が挫折の本当の意味を理解し、人生に役立てることを私は切に願っている。