正月の風物詩の一つに「箱根駅伝」がある。
その歴史は長く、全国に数多く熱狂的なファンが存在する伝統的なイベントだ。
かくいう私の家族も毎年必ず見ている。
私を除いて……。
ファンの方には申し訳ないのだが、私は箱根駅伝に興味がない。
理由としては、どこに面白さを感じるか全くわからなかったからだ。
以前、家族に面白さを聞いてみたところ「タスキを繋ぐ尊さ」「ドラマがある」など、大変熱く語られた記憶がある。
そうは言われても、私の中では単なる大学生のマラソン大会にしか過ぎず、タスキリレーの何が尊いのかまるでわからなかった。
しかし、今年初めてじっくりと見てみると、少しその考えが変わった。
タスキを繋ぐ尊さの意味
私は、箱根駅伝の醍醐味である「タスキを繋ぐ尊さ」について、ようやくその意味を理解することができた。
私と同じように箱根駅伝のことを全く知らない人のために、少しルールを説明しておく。
実は箱根駅伝のタスキを繋げる時間には制限が設けられているのだ。
その時間はトップの走者がタスキリレーを行ってから20分間。
この20分を過ぎてしまうと繰上げスタートとなり、前区間選手の到着を待たずに次の走者は走らなければならない。
その際はもちろん棄権扱いになってしまい、母校のタスキを掛けることもできずスタートを切ることになる。
まさにただ走っているだけの状態だ……。
もはや勝敗には全く関係ないにも関わらず、それでも走り続ける選手を見ていると、いたたまれない気持ちになってくる。
恐らく、私と同じような気持ちを抱いている人は多いのではないだろうか。
だが、それ以上に、タスキを渡せなかった本人はもっと辛いはずだ。
自分のせいで今まで繋いできたタスキを途切らせ、さらには以降の選手の走りを無意味にさせてしまうのだから。
その責任の重さと重圧は計り知れない……。
もちろん仲間はそんなことを咎めることはしないだろうが……本人のその悔しさは生涯消えることがないかもしれない。
そう考えると、勝敗など関係なしに、タスキを繋いでゴールするだけでも価値のあるものだと認識することになった。
なるほど、これが箱根マラソンの魅力か……。
少なくとも、ただの大学生のマラソン大会ではないということは理解できた。
これがもし、私が当初思っていたように、ただ勝敗を決めるだけのマラソン大会なら、きっとここまでの人気にはならなかっただろう。
やはり長い間愛される物には、それなりの理由があるのかもしれない。
今回の箱根マラソンは、私にそう思わせるきっかけとなった。