会社の上司や学校の先生、両親など、目上の人に怒られた時、あなたはこのように言われたことはないだろうか。
「お前のためを思って怒ってるんだぞ」
この言葉を聞いた時、あなたはどのように感じたか。
素直にそのことを反省し、自分が悪かったと思うなら何も問題はない。
しかし、そうではなく、何かが引っかかるのなら、それは相手の心情に問題があるのかもしれない。
今回は、そんなあなたの疑問を解消するべく、怒られることについて深く追求したい。
怒ると叱るの違い
人から怒られた時、素直にそのことを反省できる時と納得できない時がある。
もちろん、怒られる内容にもよるが、同じ内容で怒られても相手によって感じ方が違う。
Aさんに怒られた時は、本当に申し訳ないという気持ちになるのに、Bさんに怒られた時は、何故か謝罪の気持ちよりも悔しさが込み上げてくる。
この二つの違いは何なのだろうか。
それは相手の思惑が違うからだ。
わかりやすく言えば、叱ると怒りの違いだ。
前者のAさんの場合、あなたを怒る理由は、あなたの間違った行いを正すために怒っている。
これは冒頭でも語ったように、純粋に「あなたのためを思って怒っている」といえるだろう。
しかし、後者のBさんの場合は、ただ自分の怒りをあなたにぶつけているだけなのだ。
あなたの行いによって、Bさんが何かしらの不利益を被った場合、そのことを許せないBさんは、自分の怒りをダイレクトにあなたにぶつけてくる。
このような場合、どんなに「お前のためを思って怒っている」と言われても、それが心に響くことはない。
相手が自己保身で怒っていることを、あなたは肌で実感してしまうのだ。
怒ると叱るの見分け方
前述したように、「叱ること」と「怒りをぶつけること」は全く違う。
両者は似ていても、その本質は相手寄りか自分寄りかで全く異なった感情だ。
では、その二つを明確に見分ける方法はあるのだろうか。
これは目には見えない相手の心理が大きく影響するため、必ずしも断言はできないが、その一つに、相手が感情的に怒っているかどうかがポイントとなる。
例えば、あなたが仕事でミスをして、上司に怒られているとしよう。
その上司は、主にどの部分を重視して怒っているだろうか。
あなたがミスをした原因、改善点、注意事項など、そのことを具体的に指摘してくれるなら、それはあなたのためを思って叱っている可能性が高い。
しかし、そうではなく、あなたがミスをしたことで、どれだけ周りに迷惑が掛かったか、お客への信頼が損なわれた等、あなたを批判することが主な場合は、怒りをぶつけているだけの可能性が高いといえる。
結局のところ、上司はあなたのミスで責任を取らされることや、恥をかかされたことが許せないだけなのだ。
このようなケースは、両親が子供を怒る場面でも非常に多く見受けられる。
特に幼少時代、おもちゃ売り場でダダをこねて泣きじゃくった時、親は決まって「他の人に迷惑でしょ」と言い放つ。
しかし、ここで言う「他の人」というのは、つまるところ、親である自分自身である場合が多い。
公衆の面前で恥をかかされたことに対して、親は子供をなだめるよりも先に、鬼の形相で子供を怒鳴りつける。
周りからすれば、親の怒鳴り声の方が気分を害するのだが、本人はそうとも知らずに子供の手を強引に引いたり、頭を叩いたりする。
それは一歩間違えれば【毒親の呪縛から逃れる方法】でも話したように、子供の自尊心を壊すことに繋がりかねない。
怒りを感情的にぶつけることは、相手の気持ちを踏みにじるだけであり、決して相手の心には響かないのだ。
感情的に怒る人の心理
そもそも本当に相手のことを思っているのなら、本来は怒る必要すらないのだ。
心理学の実験において、褒めて伸ばすタイプと叱って伸ばすタイプを比較した場合、褒めて伸ばされたタイプは能力以上の結果を発揮したことに対して、叱って伸ばすタイプは著しくパフォーマンスが低下する、ということが証明されている。
このように、相手に改善を求めるだけならば、怒ることは決して得策ではない。
日本には「怒られるうちが華」という言葉があるが、私に言わせれば、これは感情的に怒ったことを正当化する危険な発想だ。
特に【「世の中には二種類の人間がいる」の二種類とは何か】で話した「繊細な人間」には、怒られたことを自己否定にしか捉えられず、最悪の場合、心にトラウマを残してしまうかもしれない。
だが、恐らく、そのような話を聞かせても、感情的に怒る人間が変わることはないだろう。
何故なら、そのような人間にとって、怒るという行為は「ある感情」を満たすための手段でしかないのだから。
それは相手に自分の方が上だと示すこと。
相手を威嚇する(怒る)ことで、自分の立場が相手より上だということを知らしめる。
まさに野生動物のマウンティングと同じ行為である。
特に、上下関係に異常なこだわりを見せる人間にこのタイプが多い。
彼等の深層意識には「下の者には自分の威厳を示すことが必要だ」ということが強く根付いている。
そのため、常に相手を威嚇するような振る舞いをするのが特徴だ。
彼等のその怒りからは、自分の顕示欲を満たすためだけの卑しさしか感じられない。
周りに人がいる中でも平気であなたを怒鳴り散らすことが、なによりの証拠だ。
もし、あなたが傷つきやすい人間だと自覚しているなら、このような人間とはできるだけ距離を置くべきだ。
相手のためを思って怒る
以上のことから、怒られることにも意味のある物とそうではない物がある、ということがわかってもらえたと思う。
今まで、あなたが目上の人から怒られていた時に、無条件で自分自身を責めていたのなら、その考えはすぐに改めるべきだ。
もしかしたら、その怒りは相手が自分の顕示欲を満たすためだけに行っていたのかもしれないのだから。
まずは、相手の怒りが何に対して怒っているのか、そのことをじっくりと見極めてもらいたい。
そして、本当に自分のためを思って怒っていると感じたら、そのことを素直に反省し、次は同じことをしないように心がけてほしい。
さんざん怒られることに疑問を持つように語ってきたが、本当にあなたのことを思って怒ってくれているのなら、その人はあなたにとってはかけがえないのない存在だ。
好きの反対は無関心。
この言葉からもわかるように、あなたのためを思って叱ってくれるのは、あなたのことを気にかけているからである。
本当に嫌いな人間ならば、関わろうとすら思わないはずだ。
そして、あなたが目上の立場になった時も、自分が怒られた時と同じように、怒る時は決して感情的にならないように注意してほしい。
感情的に怒られることの理不尽さを知っているあなたなら、きっとそのことを相手にも伝えられるはずだ。
その認識が次々と連鎖していき、感情的に怒ることがいかに無意味で暴挙なことかを、より多くの人が共有すれば、それはとても優しい世界が作られるはずだ。
そのような日がくることを、私は切に願っている。