人間の欲望に際限がない理由

人間の欲望には際限がない。

私は、そのことを身を持って実感した。

それを認識したのは、つい最近のことだ。

私には、前々からどうしても食べたいと思っていた肉があった。

その値段は、なんと100gで1万円もする超高級肉だ。

暇を持て余してはその肉のことを考え、写真を眺めながら、毎日どんな味がするのかをずっと想像してきた。

『一度でもこの肉がを食べられたら、人生に悔いは残らないんだろうな』

私にとって、その肉を食べることは、それほどまでに魅力的なことだった。

しかし、値段が値段だけに、簡単には手が出せない代物である……。

なので、いつか食べられる日を信じ、私はずっと我慢してきた。

だが、その夢は案外早く叶うこととなる。

スポンサーリンク

満たされない欲望の連鎖

私がネットオークションに出品していた商品が、予想以上の高値で売れたのだ。

その売却価格は、ゆうに高級肉が食べられる金額である。

一瞬、高級肉に全額使うことをためらったが、ずっとこの気持ちを引きずるよりはマシだと思い、私は意を決して念願の高級肉を食べに出向いた。

料理が手元に運ばれるのを待っている間、私の脳内には、かつてないほどのアドレナリンが分泌されているのを自覚した。

その興奮から、高級肉が目の前に置かれても、手が震えてフォークがうまく掴めないほどだ。

そうしていざ高級肉を食べてみると、その味は、やはり私が想像した通りの味だった。

柔らかさ、肉の質、旨み、それら全ては私が今まで食べてきた肉の中で間違いなく一番だ。

まさに至福の時。

食べ終わった後は、これで人生に悔いはない、と本気で思えた。

そう思えたはずだった……。

だが、残念ながら、その気持ちは長く続かなかった……。

二、三日経った頃だろうか、あれほど「一度食べたら悔いはない」と思っていた気持ちは、なんと「もう一度食べたい」に変わっていたのだ。

もっと食べたい、たくさん食べたい。

一度満たしたはずの欲望は、なぜか前よりもさらに増していた。

この時、私は始めて人間の欲望の怖さを思い知る。

人間の欲望とは、満たしても満たしも埋まらない。

それはまるで、「底なし沼」のようだと……。

欲望から解放されることを期待して高級肉を食べに行ったのだが、結果的には、さらに自分の欲望を高めることになってしまった。

その時、ふと、自分がなぜ高級肉に執着していたのか、その理由がわかった気がした。

思い返してみれば、それは過去の体験が起因しているようだ。

欲望に際限がない理由

じつは、私は幼少の頃にも一度だけ、今回と同じくらい高価な高級肉を食べたことがあったのだ。

あの時の衝撃は今でもハッキリと覚えている……。

一口食べただけで、一瞬にしてとろけるほどの柔らかさ。

口の中いっぱいに広がる幸福感。

まさに、この世の物とは思えないほどの美味しさだった。

その美味しさゆえに、私の脳はいつまでもその快感を忘れられないのだろう。

だが、これこそが人間の欲望に際限がない原因なのではないだろうか。

つまり、私達が求めている欲望の正体とは過去の快感の再現なのだ。

人間の記憶は、感情とセットにした出来事は忘れにくいと言われている。

やはり、最初に味わった快感というのは、何ものにも代え難い刺激なのだろう。

今回、私が食べた肉も、冷静に比較すれば幼少の頃に食べた肉よりも美味しいはずである。

しかし、衝撃度合いでいえば、どうしても幼少の頃に食べた肉には及ばない……。

このことからもわかるように、私達が求めている欲望とは過去の幻想なのである。

過去に味わった刺激をもう一度味わいたい。

そう思い、人は欲望を満たそうと必死になる。

だが、その欲望が満たされることは決してない……。

何故なら、過去は過ぎ去ったものであり、決して掴むことはできないのだから……。

そう考えれば、人間の欲望に際限がないことも納得がいく。

追い求めているものが過去の刺激(記憶)なのだから、当然のことだろう。

いつまでも過去の刺激(記憶)を追い求めても、そこにゴールなど存在しない。

人が掴めるのは未来でしかないのだから……。

やはり、人の欲望とは、ある程度満たしたと感じたら、それ以上は自分で自制するしかないのだろう。

そうしなければ、人は際限のない欲望に飲み込まれ、最悪の場合は、そのせいで破滅の道を辿ることになるかもしれない。

そのことを肝に命じて、私もこれからは自分の欲望と正しく向き合っていきたいと思う。

スポンサーリンク

シェアする

フォローする

スポンサーリンク