自分に自信がない……。
そう思っている人は世の中に大勢いる。
【「世の中には二種類の人間がいる」の二種類とは何か】でも話したが、特に繊細な人間はその傾向が強い。
この記事を読んでいるあなたも、その中の一人ではないだろうか。
かくいう私も、このことで非常に悩み苦しんだ。
今でこそ大分改善されたものの、昔の自分はあまりの自信のなさから、相手の目をロクに見ることができない程だった。
それとは逆に、常に自信に満ち溢れ堂々としている人達がいる。
彼等は一体なぜ、そこまで自分に自信を持てるのか。
今回は、そんな自信についての疑問を考察していきたい。
自信とは何か
そもそも自信とは何なのだろうか。
意味だけ考えると、読んで字の如く自分を信じるということになる。
では、どうしたら自分を信じられるようになれるのか。
そう考えた時、すぐに思いつくのは、自分に対して何かしら誇れるものがあるということだ。
例えば、スポーツで優勝したことやコンクールに入賞したこと、司法試験に合格したなど、第三者から見るととてつもなく凄いと思える肩書きを所有していることがそれに当たる。
彼等は名実共に実績を持っているのだから、自信を持てるのは当然のこと。
過去の私は、ずっとそう考えていた。
だが、色々なタイプの人間と接するにつれ、自信とはそう簡単に説明できるものではない、と感じてきた。
何故なら、どんなに凄い肩書きを持っている人でも、自分に自信がない人が存在するからだ。
その一方で、何の肩書きを持たずとも、絶対に揺るぎない自信を持つ人もいる。
このことからもわかるように、自信とは肩書きで手に入るものではないということだ。
二つの自信
私の考えでは、自信には二通りある。
一つ目は、自分でも完全に信じているわけではないあやふやな自信のこと。
二つ目は、決して揺れることのない強固な自信のことだ。
私はこの二つを偽の自信と本物の自信と名づけている。
これは、ガラス玉と水晶球に例えるとわかりやすい。
両者の形は非常に似ているが、地面に落とした時にはその違いは一目瞭然だ。
ガラス玉の方は簡単に割れてしまうが、天然の水晶球ならそう簡単に割れることはない。
これは自信にも同じことがいえる。
偽の自信はちょっとしたことですぐに壊れてしまうが、本物の自信なら何があっても絶対にブレることはない。
この二つの自信の違いは何なのか。
それは、偽の自信は周りからの評価に依存した自信だからだ。
前述したように、偉大な肩書きを持つ人間は第三者から評価されやすいため、自信を持つことに繋がりやすい。
だが、これは逆に言えば、その肩書きがない自分には何の価値もない、と言っているようなものだ。
だからこそ、本人も自分自身の本質を認めることができていない。
よくある事例として、一流企業に勤めていた人が、リストラされた途端に自分の価値を見出せなくなってしまうのもこれが原因だと考える。
つまり、偽の自信では永遠に自分の本質を認めることができないのだ。
本物の自信を手に入れるために
では、どうしたら本物の自信を手に入れられるのか。
よく啓発本に書かれている方法として、「小さな成功を積み重ねる」というものがある。
これは簡単な目標を達成していくことで、徐々に自信がついてくるという方法だ。
私も、過去にこの方法を実戦したことがある。
たしかに、自分の決めた目標を成し遂げられた時は、その達成感で自分を誇らしく思え、自信を得られた気分になった。
だが、その自信は長くは続かなかった。
最初に感じた「目的を達成した喜び」や「高揚感」は、逆に目標を果たせなかった時にはすぐに消え失せてしまったのだ。
自分は何故こんなにも根性がないんだ……。
自分自身を責め続けては、自己嫌悪に陥り、余計に自信を喪失してしまう日々を繰り返した。
その時に気づいたのだ。
この方法では、本物の自信は手に入れることはできないのではないかと……。
何故なら、頑張った自分に対して評価を与えているだけであって、頑張っていない時の自分=本来の自分に対しては全く評価が変わっていないからだ。
これこそ、まさに偽の自信の罠である。
つまり、第三者からの評価や肩書きでは、本物の自信は得ることはできないのだ。
本物の自信を手に入れるためには、ありのままの自分を受けれ入れることが必要不可欠だ。
ありのままの自分を認め、ありままの自分を評価する。
本物の自信を手に入れるためにはこれしかない。
だが……これがなかなか難しい。
そもそも自信がない人とは、自分を評価できないからこそ自信がないわけで、その自分を受け入れるということには非常に抵抗を感じるからだ。
しかし再度言うが、第三者からの評価で得た「偽の自信」では、永遠に自分の本質を変えることはできない。
最初は受け入れ難くても、たとえどんなに抵抗があっても、ひたすら自分で自分を評価するしかないのだ。
自分は頑張らなくても価値がある。
そう何度も何度も自分に言い聞かせ、ありのままの自分を評価する。
そうすることで、ようやく自分の本質が変わっていく。
もちろん、この方法を行っても、すぐに本物の自信が手に入るわけではない。
自信とは、そう簡単に手に入れることはできないのだ……。
しかし、それでも自信とは手に入れる価値があるものだと私は考える。
自信が持てないことで起こる弊害
ここまで読んだあなたは、自信をつけることに対して、もしかしたら気持ちが萎えてしまったかもしれない。
前述したとおり、自信をつけることは簡単なことではない。
その方法は「今の自分を受け入れる」という自信のない者にとっては非常に困難なものだ。
そこまでするなら自信をつけなくてもいい……。
あなたがそう思ったとしても無理はない。
だが、自信を持てない弊害は、自分だけの問題だけに納まらない。
それは相手を巻き込んでしまうということ。
実は、これこそが自信がないことで起こる弊害で、最も恐ろしいことである。
人間というのは自意識が非常に高い生き物で、相手の心情を想像するまでの「心のゆとり」をなかな持つことができない。
あなたと接した相手は、あなたの自信のない表情や雰囲気を見て、一体どう思うだろうか。
素直に「この人は自信がないんだな」と思ってくれるならまだいい。
だが、大抵の場合は「自分は嫌われている」「自分だからこういう態度をするんだ」と思われてしまうのだ。
つまり、自分に自信を持てない人間は、相手を知らず知らずのうちに傷つけてしまっていることになる。
最悪の場合、このことが原因で人間関係のトラブルを引き起こし、恨みを買うこともあるかもしれない。
それほどまでに、過度の自信のなさは相手に不快感を与えてしまうのである。
本来、自信のない人間とは、相手に不快な思いをさせないために「なるべく自分と関わらないこと」を心掛けているのだが、それが全く逆の事態を引き起こしてしまう。
相手の本心を読み取ることは難しい……。
私も、自信のない人の気持ちはよくわかる。
昔の自分は、誰とも目を合わせられず、いつも下ばかり向いていた。
そのことが、まさか自分の思惑とは逆に取られているなんて想像でもできなかった……。
だからこそ、あなたには同じような思いをしてもらいたくないのだ。
とはいえ……いきなり「自信を持て」というのは無理な話だろう。
なので、まずは「自分を受け入れる」「相手の目を見る」この二つだけを意識してもらいたい。
この二つを守るだけでも、あなたは人に不快な思いをさせないレベルの自信を持つことができるはずだ。
そしていつの日か、あなたが本心から自分を信じ、「本物の自信」を手に入れられることを私は願っている。