新年早々こんなことを告白するのはどうかと思うが、私は正月が嫌いである……。
厳密に言えば、正月の環境が嫌いだ。
理由は、正月休みの父親と一緒に過ごさなければならないからだ。
【毒親の呪縛から逃れる方法】でも少し触れたが、私と父親は家では一切会話をすることがない。
比喩ではなく、本当に話さないのだ。
2016年を思い返してみても、一度も話した記憶がない。
ならば問題は何もないだろうと思うかもしれないが、やはり嫌いな人間と一緒に一日を過ごすのは大変な苦痛である。
私の父親はガサツであり、声の大きさ、足音やドアの音など、それらの生活音が非常に大きい。
そのため自分の部屋に篭っていても、それらの音が間接的に私の神経を逆なでる。
父親が起きている間は耳栓をしなければ安息になれないほどだ。
だったらさっさと自分で家を出ればいいだけの話なのだが、残念ながら私の経済力ではとても一人暮らしはできないのが現状だ……。
しかし昨今では、私と同じように正月を嫌う人が非常に増えてきている。
正月に肩身の狭い思いをする人達
正月を満喫している人には考えられないかもしれないが、これは決して私個人だけの話ではない。
その大きな理由として、私と同じように自立できないことが要因だ。
この問題は無職の者だけでなく、働いてはいるものの一人で自活するには十分な収入が得られていない場合も含まれる。
私のように親と間接的に絶縁してる状況ならまだマシだが、そうでない場合、この時期はことごとく小言を言われるだろう。
何故なら、正月は新年の初めの行事でもあるため、親からすれば子供の気持ちを更生させるのにもってこいだと思っているからだ。
【良い大学、良い会社に入ることへの幻想】でも話したように、親は今の時代のことを理解していない。
ただ、これが親だけの話ならばマシな方である。
正月に親戚を家に集める風習が残っている家庭では、このことを親戚全員から咎められることになるからだ。
無職やフリーターの人は、さぞかし肩身の狭い思いをすることになるだろう。
昭和時代の正しい正月の過ごし方
仮に自立していたとしても、くぐり抜けなければならない問題はこれだけではない。
ある程度の歳になれば、今度は結婚をせがまれる。
親はこちらの心境などお構いなしに「早く孫を見たい」などと言ってくるだろう。
このことは、どちらかというと男性より女性の方が多く経験しているかもしれない。
せっかく正月に帰郷してきても、これでは安らぐこともままならないだろう。
そう考えると、本当の意味で正月を満喫できる者とは、自立できる収入を得ている身分で、結婚していて、あわよくば孫を連れて帰ってくる、ということになる。
まさに良き昭和時代に見られた正月の光景といった感じだ。
しかし、このサイトに辿り着いた人ならわかると思うが、この条件を満たすことは、今の時代では非常に難易度が高いことだ。
少なくとも、昔のように誰もが手に入れられる光景ではなくなった。
一体、日本はいつからこんなにも昔の正月らしさがなくなったのだろう……。
私個人のことは抜きにしても、昔に比べて格段に正月を満喫している人は少なくなったように感じる。
思い返してみれば、2000年になる辺りがその節目だった気がする。
それとも、これは単に自分の心境のせいなのだろうか……。
そうであるならば、私も早く昔のように正月がワクワクできるようになりたいと心から願う。