世の中には、惰性で生きてる人が存在する。
人生に夢や目標がある人には信じられないかもしれないが、昨今、この「惰性で生きてる人」が増えてきているのだ。
惰性という言葉には、「今まで続いてきた習慣や癖」という意味がある。
つまり、惰性で生きるとは、生きることに対して意味や希望を見出せない人達のことを指す。
一体、彼等は何を考え、日々をどのように過ごしているのだろうか。
今回は、惰性で生きてる人の心理を考察し、その原因と解決策を話したい。
惰性で生きてる人の心理
私の友人にも惰性で生きてる者がいる。
彼は大手会社に勤め、金銭的には何不自由ない暮らしをしている。
私からすれば、自立して安定生活を送る彼を羨ましいと思っていたのだが、どうやら本人的にはそうではないようだ。
ある日、彼は私にこう告げてきた。
「俺の人生はもう消化試合に入ってる。今はもう惰性で生きてるだけ」
彼からこの言葉を聞いた時、私は無性に腹が立った。
なぜそう思ったのかは自分でもハッキリとわからないのだが、恐らく、彼が人生を舐めているように感じたからだろう。
過去の自分がそうだったからなのか、私はそういった類の人間を見ると苛立ちを覚えるのだ。
しかし、彼をじっくり観察していると、そうではないことがわかってきた。
彼はいつも浮かない顔をしており、生気をまるで感じないのだ。
決してウツというわけではないのだが、毎日を呆然と過ごしている。
本人も言っていたが、人生に楽しみを見出せないのである。
この時、私は思ったのだ。
「惰性で生きる」ことは、なんて可哀想なことなのかと。
人生に目標や糧もなく、決められたルーティンをこなすだけの毎日。
心には潤いが一切なく、永遠に乾いたままの状態。
例えるなら、それはまるで生きる屍のようである。
人が生きていく上で、感情が揺れ動かないことがどれほど悲しいことなのか……。
彼を見ていると、そのことを痛感させられる……。
惰性で生きてる人になる原因
私の人生を振り返ると、これまで「惰性で生きてる」と感じたことは一度もない。
絶望だと感じて無気力になった時期はあったが、「呆然と生きる」という感覚は味わったことがない。
なぜだろうと考えてみると、一つ思い当たる節がある。
それは、常に思考を巡らせていることだ。
私は、自分でも自覚しているのだが、物事に対して考え過ぎなところがある。
日頃から何かあった時は、相手の思考や感情に焦点を当て、相手が今どう感じて何を求めているのか、そのことを推測する癖がある。
このことが、「惰性で生きてる人」にならない要因だと私は考えている。
反対に、惰性で生きてる人というのは、物事に対して深く考えない傾向が強い。
そのことは、前述した「惰性で生きてる友人」との会話でも確信した。
先日(2019年3月)、欅坂46の「長濱ねる」がグループの卒業を発表したのをご存じだろうか。
長濱ねるといえば、写真集を20万部も売り上げ、バラエティ番組などにも多数出演する人気アイドルである。
いうなれば欅坂46の顔ともいえる存在だ。
恐らく、アイドルに詳しくない人でも名前くらいは聞いたことがあるだろう。
私も『ミラクル9』などのクイズ番組に出演しているのを何度か見たことがある。
年齢的にも卒業するには早すぎることから、私は彼女の卒業の理由が非常に気になった。
yahooニュースのトップページに取り上げられていることからも、世間的にも関心の高い出来事だとわかる。
私は、友人との会話でこの件を話題に出してみた。
彼女がどのような経緯で卒業するに至ったのか、そのことを議論しようと思ったからだ。
だが、彼は私の思惑とは裏腹に、素っ気なくこう答えた。
「名前が売れてるうちに辞めてアナウンサーでも目指すんだろ」
私は愕然とした……。
私の求めている回答はこういったものではない。
彼女がどのような思考の末、卒業を決めたのか。
そこまでの苦悩や葛藤、それを語り合いたかったのだ。
もちろん、彼の言う通り、そういった思惑もあるのかもしれない。
しかし、それはアクマで結果であり、最初からそのように考えていたとは私には到底思えないのだ。
結局のところ、彼の思考は、物事の結論にしか焦点を当てず、そこに至るまでの経緯をスッパリと省いているのである。
良く言えば「割り切った考え」といえるが、悪く言えば「冷めた考え」しかできないのである。
このように、惰性で生きてる人は、物事に対してあらかじめ答えが決まっていることが多い。
そのため、考えることをせず「これはこういうものだ」とすぐに結論づけてしまう。
端的に言えば、思考停止の状態なのである。
思考停止の状態が続けば、感情はどんどん鈍化されていく。
人の心は筋肉と同じで、使わなければどんどんと衰えていく。
そうして最後は何に対しても感情が揺れ動かなくなってしまうのだ。
これが「惰性で生きてる人」を作り出す根本的な原因だと考える。
自分ではそのつもりがなくても、知らないうちに「惰性で生きてる人」になってしまうのだろう。
彼との会話で、私はそのことを実感した。
惰性で生きてる人を脱却するための解決策
では、惰性で生きてる人はどのようにして感情を取り戻せばいいのか。
それには、やはり好きな趣味を見つけることが一番の解決策だ。
趣味があるとないとでは、人生のハリが全く違う。
趣味は私達の人生に活力を与えてくれる。
惰性で生きてる人も、そうした趣味を見つけることができれば、必ずや人生に生きがいを持てるはずだ。
ただ、そうした趣味はすぐには見つからないかもしれない。
そんなに簡単に見つけることができるなら、とっくに「惰性で生きてる人」を脱却しているだろう。
惰性で生きてる人が趣味を見つけるためのポイントはただ一つ。
趣味に対して意味を求めないことだ。
惰性で生きてる人というのは、物事に対して意味を求める傾向が強い。
私の友人も「先に繋がらないことには意味を見出せない」と言っていた。
物事に意味を見出すことは決して悪いことではないが、趣味に関していえばマイナスである。
そんな考え方をしていては、趣味は永遠に見つけることはできない。
趣味で大事なことは、意味があるかないかではない。
それをしていて自分が楽しいと感じるかどうかだ。
一般的に、世間から偏見な目で見られがちなオタク系の趣味も、本人が心から楽しいと感じるなら、それはとても有意義なことである。
少なくとも、趣味が何もないよりは100倍価値がある。
趣味を見つけたいと願うなら、世間の評価や意味にとらわれず、自分の気持ちに焦点を当てるべきだ。
自分がそれをしていて心が躍るかどうか、そのことだけに着目することが大切である。
もし、どうしても何も見つからないという人には、筋トレがオススメだ。
筋トレの利点は、自分の成長を感じやすいということ。
最初は一回もできなかった種目でも、筋トレを継続することでどんどん回数が増えていく。
こうした目に見える成長は、日々の生活では中々感じられないことだ。
それを簡単に味わえる筋トレは、人生のモチベーションを上げることに非常に役立つ。
なにより、体を鍛えることは心の健康にも繋がる。
趣味を見つけられなくて悩んでいる人は、是非参考にしてもらいたい。
いずれにせよ、惰性で生きてる人が自分の人生を取り戻すためには、感情を揺れ動かす趣味は必要不可欠だ。
一刻も早く、感情が揺れ動く趣味を見つけて「惰性で生きてる人」を脱却してもらいたいと願う。