【体験談】ハローワークで見つけた会社がブラック企業だった話

「仕事を探すならハロワ」と言われているように、ハローワーク(公共職業安定所)は世間から広く認知されている。

しかし、その一方で「ハローワークにはブラック企業の求人が多い」という噂もよく耳にする。

あなたも、一度はこの噂を聞いたことがあるのではないだろうか。

真偽はともかくとして、私はこの噂は本当だと思っている。

なぜなら、私自身がハローワークの求人でブラック企業を引き当てたことがあるからだ……。

もちろん、全ての求人がそうだとは言わないが、ブラック企業の求人は確実に存在する。

今回は、これからハローワークを利用して就職を目指す人に向け、ブラック企業とはどのような所なのかを、私の体験を元に語りたい。

スポンサーリンク

面接から漂うブラック企業の影

今でこそ社会不適合者であることを受け入れている私だが、数年前まではそうではなかった。

当時は、まだ「普通の道」を諦めていなかったし、それだけの力が自分にはあると思っていた。

【新卒でブラック企業に入社した人はどうするべきか】で話したように、私は過去に一度ブラック企業を経験している。

そのため、次こそは「まともな会社」で働きたいと願い、ハローワークの担当者に相談したり、自己分析したりして色々と頑張った。

しかし……その努力も虚しく、またしても入社した会社はブラック企業だったのだ。

私が入社したその会社は、海外からパソコンの部品を輸入して他社に納品する、貿易と卸売を兼ね揃えたような事業をしていた。

ハローワークの求人の中では比較的給料も高く、なにより事務系の仕事というのが魅力的だった。

そのため、倍率も高く、ハローワークの担当者からも応募しても書類選考に通らないかもしれない」と言われていた。

しかし、どうしても「まともな会社」で働きたかった私は、担当者に無理を言って書類を送ってもらうことにした。

そうは言っても、私は新卒以来まともな職歴がなかったし、内心では恐らく駄目だろうとは思っていた。

ところが、私の予想とは裏腹に、なんと書類選考が通ったのだ。

自己PR文や志望動機が「担当者から誉められるレベル」だったことも影響していたのかもしれない。

なんにせよ、無事に書類選考が通った私は、このチャンスを逃すまいと必死に面接の模擬練習を繰り返した。

そうして準備万端で臨んだ当日、現地に着くと、そこは事務所と工場が一体となった小規模の会社だった。

事務所の扉を開け、社員の人に挨拶をすると、すぐに社長室へと案内される。

しばらくして現れたのは、白髪が混じった60歳くらいの細身の男性だった。

この会社の社長である。

一代でこの会社を築いたらしく、顔からは自信が満ち溢れていた。

社長の独特のオーラに圧倒され、私の背中に緊張が走る。

ところが、面接内容は私が想像していたものと違い、とてもフランクな内容だった。

基本は雑談で、ところどころで質問を挟む、といった形式だ。

予行練習していた甲斐もあり、突っ込んだ質問にもなんなく答えられた。

自分でも手応えを感じ、面接は大成功と言ってもいいデキだった。

さらに後半には社長から「いつから出勤できるか?」ということも聞かれ、これはほぼ内定だと確信していた。

面接が終わり、会社の外に出た後は思わずガッツボーズをしたのを今でも覚えている。

しかし、嬉しさの反面、少々引っ掛かる事もあった。

それは社長の言動だ。

「君はゆとりかね?」と露骨にゆとり世代をバカにする発言や「女は子宮で物事を考える」など、女性軽視の発言……。

こういった偏見思考が随所に見られたのだ。

当時は採用された喜びでそれほど気に留めていなかったが、こういったところからもブラック企業のニオイは出ていたのだろう。

そう思えるのも今だからであるが……。

こうして私はブラック企業へと足を踏み入れることになった。

求人内容と違う契約書

勤務初日、会社の扉を開けて一番最初に出会ったのは眼鏡を掛けた大柄の男性だった。

風貌がフジテレビアナウンサーの『軽部真一』に似ているため、以後軽部さんと呼ぶ。

軽部さんはとても貫録のある風体をしており、初対面の時は部長だと思った程だ。

しかし、実際はまだ30歳で、役職もついていない平社員だった。

その事実に、私はとても驚いたのを覚えている。

軽部さんと軽く談笑した後、まずは契約書を書くことになっていたので、私は社長室へと向かった。

社長とは前回の面接で大分打ち解けていたし、二度目ということもあって緊張はなかった。

契約を交わすと言っても、ただ判子を押すだけで時間も大して掛からないだろう、そう踏んでいた。

だが、その安易な予想はすぐに裏切られ、ここでもブラック企業のニオイを感じることとなる……。

社長の話は相変わらず長かった。

内容はほとんどが社長の自慢話や精神論についてのもので、仕事内容についての話は皆無だった。

それでも私は興味のあるフリをして、必死に社長の話に耳を傾ける。

三十分後、ようやく社長の話が終わり、契約の話に入ると「それ」は発覚した。

なんと、差し出してきたのはアルバイトの契約書だったのだ。

さらに驚いたのが、一緒に持ってきた私の履歴書もクシャクシャに丸めこまれていたこと。

本来、企業は履歴書などの個人情報は厳重に保管していると聞いていたので、これには本当に驚いた。

一瞬、そのことを指摘しようかと悩んたが、この時はそれよりも契約書の方が先決だった。

私は社長に契約書がアルバイト用であることと、私が正社員雇用で面接を受けたことを伝える。

すると、社長は「ん?そうだったか?」と何の悪気もなく呟いた。

話を聞くと、社長としては最初の半年間はアルバイト契約でやってもらいたいとのこと。

半年が過ぎたら正式に正社員にすると言われたが、こちらとしてはこんな条件を呑めるわけがない。

求人票には正社員の募集としか書かれていなかったし、この社長の性格からしても、約束を守る保証などどこにもないのだから。

結局、しばらくの交渉の後、半年間は契約社員ということで話がまとまった。

完全には納得できなかったが、アルバイトよりはマシだと思い、しぶしぶ条件を呑むことにした。

求人内容とは違う契約を提示される、これもまたブラック企業の特徴である。

残業代が支給されない

契約書に判子を押し、ようやく職場に顔を出した私だが、社長との交渉が長引いたため、すでに始業時間から大分過ぎていた。

本来は始業と同時に先輩社員から仕事を見せてもらう予定だったのだが、あのような状況では仕方ない。

謝罪を覚悟で、私は急いで自分の席に向かった。

私が担当する仕事は、商品の発注や納品書を作成する、いわゆる業務的なポジションだった。

憧れだった事務系の仕事ということで、私は今までにないほどやる気を燃やしていた。

席に着くと、そこには爽やかな若い男性が座っていた。

風貌は元サッカー日本代表キャプテン『宮本恒靖』に似ているため、以後宮本さんと呼ぶ。

この仕事は二人体制で行うため、宮本さんは私のパートナーとなる人物だ。

そのため、会社では必然的に一番長く接することになる。

一緒にやっていけるのか不安だったのだが、その心配は杞憂だった。

宮本さんはとても優しい人だったのだ。

さわやかな外見通り、物腰も柔らかく、私と趣味も共通していてすぐに打ち解けることができた。

驚いたのは、宮本さんの年齢が35歳だということ。

絶対に20代だと思っていただけに、先程の軽部さんとは真逆の衝撃だった。

しかも妻子持ちで、最近家をローンで購入したという。

この会社の給料は決して高くないのに、それでも家族のために頑張る姿に私は心底感動した。

直感的に、きっと家では良い父親なんだろうなぁ、と思った。

先輩社員がとてもいい人だったことに安堵し、私の士気はますます上がる。

だが、それと同時に、ブラック企業特有の「暗黙の了解」がこの会社にも存在していると知り、気持ちが萎えてしまったのも事実だ。

それは、残業代が出ないこと。

ある程度予想はしていたが、やはり実際に知らされるとモチベーションは下がってしまう。

ちなみに、この日の仕事が終わったのは20時である。

定時が18時なので、本来は2時間残業したことになる。

少々残念ではあるが、これは妥協するしかないと思った。

社長はクセがあるものの、宮本さんはいい人だし、なにより憧れの事務系の仕事だ。

ここはぐっと飲み込もう、と私は心に誓った。

こうして私の勤務初日は終了したのだった。

労働基準監督署からの電話

二日目、この日は宮本さんの隣で仕事の流れを見させてもらった。

昨日は社長の長話のせいで途中参加になってしまったため、二日目にしてようやく仕事の全容を見ることができた。

宮本さんの仕事を見ていると、この仕事は早さが重要だとわかった。

私達が作成した納品書を見て、工場の人達は商品を箱詰めするため、この仕事が遅くなると後続の仕事にも響いてしまうのだ。

そのため、この会社では昼休憩の時間も決まっていない。

仕事の目途がついた者から順番に取る、という方式だった。

慌ただしい宮本さんを横で見ながら、私は電話対応などサポート役に専念した。

自分なりに少しでも宮本さんの力になりたい、そう思ってのことだ。

そんな時……私の心を揺さぶる一つの電話が掛かってくる。

「労働基準監督署の○○と申しますが、社長はおられますか?」

労働基準監督署?

一体なぜそんなところから電話が……。

予想だにしない相手からの電話に戸惑うものの、とりあえず社長に繋ごうと私は社長の方に目を向ける。

しかし、社長の姿はどこにも見当たらなかった。

どうしたものかと席が近い軽部さんに対処法を尋ねると、「あ~またか。社長は今いないから後で折り返すって言っとけ」とそっけなく言われた。

反応から見るに、どうやらこれが初めてのことではないようだ。

言われた通り、私は後で折り返すことを告げると、さらに驚愕の返答をもらうことになる。

「そうですか、では△△さんの給料未払いの件でお話があると、社長にお伝え下さい」

給料未払い……。

その言葉を聞いて、私は一瞬にして凍りついた。

△△さんという人は知らないが、恐らく、以前働いていた従業員のことだろうとすぐに察しがついた。

やはり……この会社はブラック企業なのかもしれない……。

この会社の疑惑が大きくなった瞬間だった。

動揺した私だが、隣で慌ただしく働く宮本さんの姿を見て、「今はそんなことを考えている場合ではない」と頭を切り替える。

しかし……そんな私に追い打ちをかけるように、さらに気分が暗くなる知らせを宮本さんから聞かされることとなった。

それは昼休み、宮本さんと一緒にファミレスで食事を取っていた時のことだ。

「実は、俺は明日から手術で一週間ほど会社休むから、その間はゆみよしくん一人でやってもらうことになる」

「えっ!」

突然の宮本さんの知らせに私は声を失った。

話を聞くと、宮本さんは明日から盲腸の手術で入院するというのだ。

本当はもっと早く手術する予定だったらしいのだが、社長になかなか許可がもらえずに明日まで延期していたらしい。

病気でも簡単に休みが取れない、その事実に、さらにこの会社への不信感が募った。

とはいえ、今の私には宮本さんがいなくなるのは非常に困る。

明日から一体どうすればいいんだ……。

心の中で嘆いていると、宮本さんは笑顔で私に告げる。

「大丈夫、明日は営業の森本さんが俺の代わりに仕事を教えてくれるから」

『森本さん』という名前は初めて聞いたが、どうやらベテランの人らしく、宮本さんもその人から仕事を教わったらしい。

そして、この時になって初めて知ったのだが、宮本さんも実は私が入社する二週間前に入ったばかりの新人だったのだ。

転職組なので私と違って社会人経験はあるが、それでもそんな人に一人で仕事を任せていたことに私は驚愕した……。

この時、私は先程掛かってきた電話の△△さんが、私達の仕事の前任者だということを確信するのだった……。

わずか一日の教育訓練

翌日、不安を抱いて出勤すると、席には見慣れない男性が座っていた。

どうやら、この人が森本さんのようだ。

(ちなみに森本さんという仮名は、風貌が森本レオに似ていることから名付けている)

初めて見た森本さんは、想像していたよりもずっと温厚そうな人柄だった。

これならやっていけるかもしれない。

私はホッと胸を撫で下ろす。

だが……そんな森本さんの印象はすぐに覆ることになった。

軽い挨拶を終えて、早速仕事に取り掛かろうとすると、森本さんから衝撃の事実を伝えられる。

「俺は今日の夜から出張に行くから、明日からは一人でやってもらうことになる。メモを取っていいから今日一日でしっかりと覚えるように」

「ええっ!そんなっ!」

比喩ではなく、本当にそう口に出してしまった。

昨日は宮本さんの仕事を隣で見ていたとはいえ、私はまだこのシステムに一度も触れたことがない。

にも関わらず、一回の教えで全てを覚えろというのだ。

物覚えの悪い私にとっては、はっきり言って無理難題である。

もはや不安を通り越して絶望の気分だった。

とはいえ、そんなことは言ってられず、私なりに精一杯覚えようと頑張った。

宮本さんが復帰するまでの数日間だけなんとか耐えよう、そう自らを奮い立たせた。

しかし、森本さんの口調は予想以上に早く、メモを取るのも一苦労だった。

ただでさえ私は複数のことを同時にやることが苦手な性質なのに、話を聞きながらメモを取り、さらにシステムの操作を覚えることは本当にキツかった。

だが、ここで覚えなかったら明日はさらに苦労することになる。

そう思い、少しでもわからないところがある度に、私は森本さんに質問し続けた。

すると、ここでまたしても森本さんから衝撃の言葉を告げられる。

「キミ!ちょっと質問しすぎだよ」

質問したことへのまさかのお咎めである。

私としては、「明日迷惑を掛けないように今のうちに聞いておこう」と思って質問したことなのだが、それがまさかの怒られる事態となってしまった。

たしかに、私は物覚えが悪い人間なので、普通の人より質問が多かったかもしれない。

しかし、マニュアルもない中、明日から一人でやらなければならないとなれば、質問が多くなるのも仕方ないではないか……。

心の中で、森本さんに対する不信感が一気に募った瞬間だった。

だが、そう言われてしまっては、それ以降は質問することができなくなってしまった。

結局、システムの操作は半分ほどしか理解できず、この日は森本さんの仕事を隣で見ているだけで終わった。

こんなことで明日から一人でやっていけるのだろうか……。

私の不安は続くのであった……。

頼れる人は誰もいない

翌日、不安でほとんど寝ることができなかった私は、いつよもより早く会社に出向いた。

朝のうちに少しでも予習をしておこう、そう思ってのことだ。

会社に着くと、私の席には一人の女性が座っていた。

彼女の名前は山瀬さん(仮名)

20代半ばのアルバイト社員である。

普段は私とは違う業務をしているため、直接関わることはほとんどない。

話を聞くと、今日は私が一人で仕事をするということで、森本さんから私のサポート役を頼まれたようだ。

山瀬さんは過去に森本さんからシステムの使い方を教わっているらしく、一通りの操作はできるとのこと。

それを聞き、私は心から安堵した。

これでわからないことがあれば聞くことができる。

私の心に希望の光が射した瞬間だった。

しかし、その考えが甘かったことをすぐに悟ることになる……。

システムを立ち上げ、意気揚々に仕事を始めた私だったが、開始早々すぐに行き詰まることになる。

メモを見直してもわからなかったため、山瀬さんにやり方を尋ねると、山瀬さんは冷淡な口調で私にこう告げた。

「昨日やり方教わりましたよね?」

その表情は、まるで質問することが「悪」と言わんばかりに強張っていた。

たしかに山瀬さんの言う通り、私は昨日森本さんから操作方法を教わっている。

しかし、前述したように、私は物覚えが悪く、一度教えてもらっただけでは全てを覚えることができないのだ。

それに加えて、このシステムは覚える項目が多く、全てをメモすることは私には無理だった。

だが、それは私の都合であり、山瀬さんには関係のないこと。

山瀬さんの仕事に対する考え方は、仕事は「与えられた者」が最初から最後まで責任を持つのが筋、という考えで、良い意味でも悪い意味でもプロ意識が高いのである。

本来ならば「社会人の鏡」として賞賛されることだろう。

しかし、当然ながら、このようなタイプは私とは相性が悪い。

私の仕事に対する考え方は、「仕事は助け合うもの」だと思っていたからだ。

この考え方の違いは、山瀬さんが「優秀」だったことも影響しているのだろう。

山瀬さんは私と違って教わったことは一度で覚えられるし、基本的に一人でなんでもこなせるタイプだ。

そのため、私のようにができない人間の気持ちが理解できないのだろう。

結局、山瀬さんが教えてくれたのは、最低でも三回自分で試してから、という条件をクリアしてからだった。

しかし、こんなやり方をしていれば当然時間は掛かる。

ただでさ仕事が遅い私が予定通りに業務を終わらせられるわけもなく、通常の二倍以上の時間が掛かってしまった。

結果的に、工場の人達にも大変迷惑を掛けることになってしまった。

もちろん、その分の尻拭いは私一人でやったのは言うまでもない。

昼休憩を抜いて仕事に没頭したが、この日の仕事が終わったのは22時を過ぎてのことだ。

自分の不甲斐なさを痛感すると共に、頼れる人が誰もいないことに、心が折れそうになった瞬間である。

仕事を把握していない部長

私がこの会社に納得できないことは他にもある。

それは部長の存在だ。

部長は外国人で、主に海外企業との取引業務を担当していた。

日本に滞在している期間はそこそこ長いようだが、まだ日本語もカタコトである。

決して仕事ができるタイプには見えなかったので、正直、なぜこの人が部長なのか疑問だった。

そんな部長に嫌気が差したのは、忘れもしない私が一人立ちさせられた初日のことである。

その日、皆が帰宅する中、私は仕事が終わらずに残業をしていた。

会社の鍵は部長が持っているため、部長も付き添いで残らざるを得ない状況だった。

静まり返った部屋に、私と部長だけが取り残される。

このままでは仕事がいつ終わるかわからないし、部長をこれ以上残らせるのも悪いな……。

そう思った私は、恥を忍んで部長に仕事を手伝ってくれるように頼んだ。

すると、部長は独特のイントネーションで私にこう告げる。

「ワタシ、ナニモワカラナイヨ。ソノシゴトワタシノジャナイヨ」

この言葉を聞いて、私は心底失望した。

部長ともあろう存在が、私の担当する仕事について何もわからないというのだ。

本来、部長というのは会社の全容を把握している存在のはず。

だからこそ他の者より地位も高く、報酬も高いのだから。

私が想像していた「部長像」とはまるで違うことに、私は心の中で憤慨した。

だが、これだけならまだいい。

本当に驚いたのは、部長のその後の行動だ。

20時を過ぎた頃、部長はおもむろに席を立ち上がった。

向かった先は大部屋の奥にある一室。

まだ私が行ったことのない部屋だった。

たぶん夕飯でも食べているのだろうと思い、仕事を続けていると、突然軽快な音楽が流れ出す。

その音楽は、少し前に流行った『ビリーズブートキャンプ』のようなリズミカルなものだった。

さすがに何をしているのか気になり、私は部長に気づかれないようにそっと部屋の中を覗く。

すると、そこには腹筋台の上で筋トレをする部長の姿があった。

軽快な音楽に合わせながら「はっ、はっ」と息を切らして心地よい運動をする部長。

その姿を見て、私はやりきれない思いで胸がいっぱいになった……。

右も左もわからない新入社員が一人で残業している中、部長はそれを無視して筋トレに励む。

きっと他人事だったら偉く笑えただろう。

しかし、当事者である私にとっては、会社への忠誠心が一気になくなる出来事となった。

以降はやる気が削がれ、仕事に身が入らくなってしまった。

結局、この日は仕事が終わらないまま、部長の筋トレが終わると同時に強制的に退出させられることとなった。

ブラック企業をクビになる

ここまで読んでもらえれば、もう想像できると思うが、私はこの会社に長くは続かなかった。

辞めるきっかけとなったのは、私が一人立ちしてから三日目のことだ。

結局、私はこの三日間、一度も予定通り仕事を終わらせることができなかった。

毎日昼休憩を抜いて自分なりに必死に頑張ったのだが、どうしても時間が掛かってしまう。

我ながら自分の仕事のできなさぶりには呆れてしまう……。

とはいえ、一応弁解させてもらうと、これは会社の対応にも問題があると思うのだ。

本来、この仕事は二人体制で行うことになっていたし、それをシステムの使い方もままならない状態で一人でやらされている。

森本さんもあの日以来、ずっと営業に出て社内にはいない。

パートナーであるはずの山瀬さんも、前述したように基本的に非協力的だ。

頼れる上司は誰もおらず、そのうえ仕事の合間には営業の人達から別の仕事も押し付けられる。

ただでさえ仕事が遅い私に、この条件の中で一人でやれというのは無理がある。

当然、こんな状況が続けば、会社の業務事態にも支障は出てしまう。

そして、その瞬間はついに訪れた。

その日、会社の取引先から緊急の電話が掛かってきたのだ。

どうやら、私が納品した商品に不備があったらしい。

それを聞いた私は顔が青ざめ、大慌てで取引先へ謝罪の電話を入れようとする。

すると、山瀬さんからさらに驚愕の事実を告げられる。

なんと、納品を間違えた取引先は一社ではないというのだ。

システムの都合上、一社間違えると全体の個数がズレるため、他の企業への納品数も合わなくなってしまうのである。

当然、これは全て私の責任だ。

しかし、会社の体制に不満を持っていた私は、このことで緊張の糸が切れてしまった。

気づけば、無意識に愚痴をこぼしていた。

「本来ならこういうことは上司が責任取るものなんじゃないですかねぇ……」

社会人としてあるまじき発言だとわかってはいたが、この時はこうでも言わなければ気力が保てなかった。

その瞬間、突然山瀬さんが叫び出す。

「もうやだっ!」

手に持っていた書類を叩きつけ、泣きながら会社の外へ走り去ってしまった。

唖然とする私の元に、その現場を見ていた軽部さんが駆け寄ってる。

「おい!山瀬さんになに迷惑かけてんだよ」

食い入るように私を睨みつけ、軽部さんは私を咎める。

「どんだけ山瀬さんがお前のことフォローしてやったと思ってんだ!山瀬さんに謝れよ」

ここで素直に謝れば良かったのだろうが、毎晩の残業続きで寝不足なこともあり、イライラの募った私は軽部さんに言い返してしまう。

「社会人として感情的になるのはどうかと思うのですが」

この言葉に軽部さんはますます激怒し、仕舞いには私の人生観を説教し始めた。

「お前、何歳だよ?」

「ここは学校じゃないんだよ」

「そんなことじゃこの先やっていけねーぞ」

ネットでよく見る定番のフレーズの数々。

ここまで言われれば、私ももう後に引けなくなり、軽部さんの言葉一つ一つに反論した。

元々、軽部さんとは仕事に対する価値観が合わなかったのだ。

ただし、反論はアクマで感情的にならずに冷静に伝えた。

そこだけは大人としての最低限の礼儀だと思っていたからだ。

私と軽部さんの口論に、次第に周囲の人間も集まってくる。

状況を説明するも、山瀬さんを泣かせてしまっている以上、私の方が悪者になるのは必然的な流れだった。

工場の人達も、私のせいで自分達の仕事が遅くなっていた事もあり、ここぞとばかりに責められた。

私に味方する者は誰もいなく、まさに多勢に無勢の状況である。

それから数分後、騒ぎを聞きつけた社長が介入すると、その場を制止して全員に告げる。

「とりあえず言い分はわかった。皆は一旦会議室に来てくれ」

そう言い残すと、私以外の全員を引き連れて会議室に向かって行った。

あーこれはそういうことだな……。

すぐにこの後の展開を予想できたが、特に後悔はなかった……。

その後、予想通り、私はこの日をもって会社をクビになる。

もちろん、いきなりクビにすることは法律上は違反であるが、これ以上この会社に関わりたくなかったので、私も特に言及はしなかった。

むしろ、これでようやくブラック企業から解放される、と清々したくらいだ。

ブラック企業を見極める方法

以上が私が勤めたブラック企業の体験談である。

ここまで読んだ人の中には、もしかしたら、この会社をブラック企業だと思わなかった人もいるかもしれない。

今回の失態要因は、【ニート・社会不適合者でもできる「自分に合う仕事」の探し方】でも話したように、根本的には私が社会不適合者であることを自覚せずに仕事選びをしたことだ。

しかし、それを差し引いて考えても、やはりこの会社はブラック企業だと断言する。

そう言えるのは、私がこの会社を辞めてからの後日談があったからだ。

実は、辞める時に社長から「給料は勤務した分を日割り計算して支払う」と言われていたのだが、給料日にいざ通帳を確認してみると、案の定給料は振り込まれていなかった。

すぐにそのことをメールで問い合わせると、「手違いがあったので明日振り込む」と返信がきたが、給料を手違いするとは一体どういうことなのだろうか……。

もし私が問い合わせなかったら、そのまま振り込まないつもりだったのではないか、と思わず疑ってしまった。

労働基準監督署から訴えられているように、この会社はとにかく金銭面が適当である。

これは実際に工場で働くアルバイトの人から聞いた話なのだが、なんと、アルバイトですら残業代が支払われないというのだ。

月給制である社員がサービス残業をするというのは百歩譲ってまだわかるが、時給制のアルバイトが「働いた分の賃金」をもらえないというのは聞いたことがない。

やはり、この会社には長くいなくて正解だったのだ……。

唯一心残りがあるとすれば、宮本さんの存在である。

今まで働いてきた職場の中で、一番心が許せた先輩なだけに、このような形で別れることになったのは本当に残念だった。

だが、その心残りも、すぐに払拭されることになる。

それは私が会社を辞めてから数か月後のことだ。

ある日、宮本さんから突然メールが入った。

内容は、宮本さんも会社を辞めるとの連絡だった。

話を聞くと、私の後任で入った人が会社をバックレてしまったらしく、その責任を宮本さんに押し付けられことに嫌気が差したようだ。

社長の言い分では、宮本さんがこの会社をブラック企業だと吹きこんだことで、後任者がバックレたということらしい。

もちろん、宮本さんはそんなことはしていないとのこと。

だが、社長は宮本さんを全く信じずに、懲罰として一カ月分の給料を支払わないと告げてきたのだ。

この話を聞いて私は本当に驚愕した。

一体どこまでブラック体質なんだと呆れてしまったくらいだ……。

結局、宮本さんは労働基準監督署に相談して、なんとかことなきを得たようだが……そこまでしなければ給料をもらえないという事実に、私は恐怖を抱いた。

やはり、ブラック企業に関わるとロクなことがないのだ。

今回のことでわかったことは、ハローワークでは倍率の高い求人だからと言って、必ずしもいい会社とは限らないということだ。

求人票だけを見て、ブラック企業かどうかを見極めるのは本当に難しい。

唯一具体的な方法があるとすれば、それは離職率を見ることだ。

私が勤めた会社のように、ブラック企業は離職率が高い傾向にある。

よって、気になる求人を見つけた時は、ハローワークの担当者にそのことを尋ねてみるのがいいだろう。

ブラック企業を避けるためには、給料や仕事内容だけにこだわらず、離職率にも注目することが大切である。

そのことを肝に銘じて、あなたもハローワークで仕事を探す時はブラック企業にくれぐれも気をつけて欲しい。

スポンサーリンク

シェアする

フォローする

スポンサーリンク