現在、私は派遣や短期バイトなど、いわゆる非正規雇用で働いている。
非正規といえば、ほとんどの人が否定的なイメージを持っているだろう。
中には、正社員でなければ職歴と認めない、と考えている人もいる。
昔は、私にもそのように考えていた時期があった。
しかし、最近では、このことに疑問を持ち始めている。
果たして、正社員になることは本当に幸せなのか、と。
正社員に求められること
正社員と非正規の大きな違いは、やはり安定という部分である。
正社員になれば、収入面や社会保障など、あらゆる部分で非正規よりも優遇されている。
このことだけ考えれば、皆が正社員を目指すのは当然といえるだろう。
しかし、正社員になるためには、ある前提条件が必要だ。
それは学歴や職歴、資格など、履歴書に書くようなものではなく、もっと人の本質的な部分である。
恐らく、多くの人がこのことに気づいていないが、正社員にも適正があるのだ。
その答えは、自分が社会不適合者ではない、ということだ。
当然のことかもしれないが、正社員と非正規では、与えられる仕事の質が違う。
それは主に責任を取らされることだ。
この「責任」というのが、社会不適合者にとっては非常に重みとなる。
何故なら、社会不適合者は仕事ができないからだ。
この「仕事ができない」というのも、単に本人の「経験不足」や「努力不足」が要因ではない。
人の話が聞き取れない、同じ失敗を何度もする、複雑な作業を覚えられない、など、本人の意思ではどうにもならない部分である。
これらは社会不適合者が生まれ持った資質であり、残念ながら、改善するのはほぼ不可能だ。
だが、会社はそんなことを考慮してはくれない。
仕事ができない人間は、問答無用で疎まれる。
最初は優しく教えてくれた上司も、いつまで経っても仕事ができないことに、段々とイライラを募らせる。
そうして最後には、社会不適合者は完全に見放されるのだ。
よって、社会不適合者が正社員になるには、このことを耐える覚悟を持たなければならない。
非正規と違い、正社員になれば簡単に会社を辞めることはできない。
定年までの残り期間が後数年というならば、割り切って耐えられるかもしれない。
しかし、そうではなく、定年まで何十年もあるならば、ずっと周囲から疎まれ続けることを耐えなければならない。
果たして、社会不適合者がこれを耐えられるだろうか。
いや、恐らく無理だろう。
少なくとも、私にはその自信がない……。
社会不適合者は正社員になれるのか
一方で、これが非正規ならば、そのような不安を一切感じずに済む。
仕事で大きなミスをしても、基本的には正社員が責任を取ってくれるし、合わない職場だと思えばすぐに辞めることもできる。
最悪の場合、「バックレる」という選択肢もあるだろう。(道徳的に良くないことなのでおすすめしません)
この保険が、どれだけ社会不適合者の働く意欲となっているか、普通の人には想像すらできないだろう。
もし仮に、正社員の適正がない人が、自分が社会不適合者だということを認めずに、頑張り続けたらどうなるか。
きっと自分の不甲斐なさを責め続けることになるはずだ。
それはやがて、必ず自分の精神に支障をきたす。
その結果、最悪の場合は「引きこもり」や「ニート」など、社会復帰すら困難な状態になってしまうかもしれない。
せっかく前向きに頑張ろうと思ったのに、結果的には事態を悪化しただけ。
これでは本末転倒だ。
そう考えると、純粋に「働く」ということだけに焦点を当てれば、社会不適合者は非正規である方が幸せなのではないだろうか。
「仕事ができる人」からすれば、非正規の立場は物凄く不憫に感じるだろう。
どうせ働くなら給料が高い方がいいし、地位や保証がつくのだから正社員の方が絶対にお得だ。
彼らはそのように考えている。
しかし、それは「仕事ができる人」の理屈なのだ。
残念ながら、社会不適合者にはその道理は当てはまらない。
そもそも、社会不適合者と普通の人とでは人種が違うのだ。
ゲーム機で例えるなら、社会不適合者は「ゲームボーイ」であり、仕事ができる人は「3DS」といったところだろうか。
ゲームボーイのスペックでは「3D」を表示するどころか、画面に「色」をつけることもできない。
しかし、現在売られているソフトを動かすには、これらの機能は必須である。
これと同じように、現代社会では、社会不適合者にも身の丈に合わない「仕事スキル」が求められている。
これでは、本人にとっても、会社にとっても不幸なことでしかない。
正社員になることが幸せとは限らない
昔の会社には、社会不適合者にも居場所が在った。
そのような人達のことを、いわゆる窓際族と呼び、市民権を得ていたのだ。
これは名前の通り、窓際に追いやられて仕事を与えられない人のことである。
漫画やドラマに出てくる「お気楽社員」というのは、大抵このタイプだ。
たしかに、窓際族も会社からお荷物扱いされていることには変わりないが、今と大きく違うのは存在を認知されていることだ。
なんだかんだ怒られはしても、どこの会社にも必ず一人はいたので「しょうがない奴だ」という程度で済まされていた。
しかし、現代社会は違う。
仕事ができない者は容赦なく首を切られ、拒否すれば自主退社を促される時代だ。
今では、新入社員ですら「即戦力」が求められている。
社会全体が、昔のように余裕がないとはいえ、本当に寛容さがなくなってしまった……。
社会不適合者にとっては、本当に生き辛い世の中である……。
もちろん、中には仕事ができなくてもコミュニケーション能力だけで乗り切っている人もいる。
いわゆる、上司への「ゴマすり」が上手い人だ。
だが、社会不適合者にとっては、それこそがもっとも不得意なことだ。
そもそも、コミュニケーション能力が高ければ、最初から「社会不適合者」などとは呼ばれていないだろう。
ここからわかるように、社会不適合者の人は、正社員になれば「幸せ」になれるわけではないのだ。
正社員で幸せになれるのは、アクマで「仕事ができる人間」だ。
そのことを気づかずに、世間の声に流れ、「正社員になることが幸せへの道」と考えるのはあまりにも危険である。
私は、社会不適合者は、一般的な幸せなレールを参考にするべきではないと思っている。
それは時に、世間から後ろ指をさされ、疎外感を感じることもあるだろう。
しかし、それでも自分が幸せになれる道を探るしかないのだ。
その道がどこにあるのかは、人によって異なるため、残念ながら一概に「これだ」と言うことはできない。
だが、人には必ず輝ける居場所が存在する。
自分が社会不適合者だということに悩んでいる人は、どうか世間の声に流されず、その場所を探すことに努めて欲しい。