SNSは、今ではすっかり私達の生活に溶け込んでいる。
個人ユーザーだけでなく、企業でも商品の紹介やイベント告知に使われており、宣伝媒体としても非常に優秀だ。
これだけ影響力があると、もはや利用しないことは「損」とさえ思ってしまう。
しかし、忘れてはならない。
SNSにも向き不向きがある、ということを。
中にはSNSを利用することで、精神的ダメージを負う者もいる。
いわゆる「SNS疲れ」というやつだ。
何を隠そう、私自身もSNSに向いていない人間の一人である。
本来ならば、ブログの宣伝のためにもTwitterなどをやった方がいいのだろうが、SNSはどうしても私の性に合わない。
それは一体なぜなのか……。
今回は、私と同じくSNSに向いていない人の特徴を解明し、SNS疲れを引き起こす原因とSNSとの正し付き合い方を伝えたい。
SNSに向いている人の特徴
自分がSNSに向いているかどうかを知りたければ、まずは「SNSに向いている人」の特徴を知ることが大切だ。
SNSに向いている人の特徴とは、人と交流することが好きなことである。
少し言い方は悪いが、馴れ合い好きとも言えるだろう。
SNSの良い面は、多くの人と繋がりを持てることだ。
リアルの知り合いはもとより、会ったことのない人とでも簡単に繋がることができる。
仕事や趣味など、少しでも自分と共通点があれば、それだけでSNSの世界では友達となれるのだ。
この「人との繋がり」で快感を得られるかどうかが、SNSに向いているかどうかの一つの指標となる。
【内向的】あなたがリア充に向いてない理由【外交的】でも話したように、人には「外交的」と「内向的」な性質がある。
SNSに向いている人は、間違いなく前者の外交的な性質を持っている人である。
勘違いされやすいが、外交的とは単に社交的という意味ではない。
自分の活力となるエネルギー源を外側から補充する性質のことである。
外交的な人間は、人と交流して外部から刺激を受けることで、どんどんエネルギーが蓄えられていく。
本人は自覚がないかもしれないが、SNSを使うことが「生きる活力」に繋がっているのだ。
外交的な人間にとって、SNSはまさに「なくてはならない物」なのだ。
SNSに向いていない人の特徴
では、SNSに向いていない人とはどのような人物なのか。
もうお分かりの通り、SNSに向いていない人とは、内向的な性質を持つ人間のことである。
外交的な人間と違い、内向的な人間は人と交流することでエネルギーを消費する。
決して人と交流することが苦手というわけではなく、アクマで性質上の問題だ。
そのため、多くの人と交流することを目的としたSNSとは相性が悪いのだ。
内向的な人間がエネルギーを蓄えるためには、自分の内側からエネルギーを生み出す必要がある。
具体的に言えば、読書や好きな音楽を聞くなど、一人で過ごす時間のことだ。
しかし、こういった「一人の時間」は、SNSをしていると取り辛くなってしまう。
SNSは人と簡単に交流できる反面、常に人と繋がっているという窮屈さを味わうためだ。
何気ない書き込みにも意見が寄せられたり、時には反論されることもある。
SNSを利用している限り、これは避けては通れない。
そのせいで、次第に「いいね」や「コメント」の数が気になるようになり、ひどい場合は常に他人の反応を伺うようになってしまう。
「あの写真を投稿すればウケがいい」
「あれをしたらコメントがもらえるかもしれない」
気づけば頭はSNSで支配され、いつしか自分の行動がSNSに左右されるようになる。
こうなってしまえば、自分と向き合う時間はどんどん少なくなっていく。
内向的な人間にとって、それは生きる活力を失うことと同義だ。
SNSは、外交的な人間にとっては必要な物でも、内向的な人間にとってはただのストレスの元でしかない場合が多い。
もし、あなたにその自覚があるのなら、SNSは止めた方が無難だろう。
SNS疲れの原因
SNSに向いていない人の特徴は他にもある。
それは外交的・内向的などの性質とは関係なしに、誰もが持っている感情だ。
昨今耳にする「SNS疲れ」の原因も、その感情が引き金になっている。
その感情とは、ずばり嫉妬心だ。
SNSに投稿される写真は、基本的に皆「楽しそう」なものばかりである。
パーティー、飲み会、旅行など、いわゆるリア充行動をしている時の写真だ。
そこに映し出された相手のキラキラした表情を見て、思わず嫉妬心が沸いてくる。
「羨ましい……。それに比べて自分の生活はなんてつまらないんだ……」
相手と自分を比較し、最後は劣等感に苛まされる。
自分自身も充実している時なら気にならないが、落ち込んでいる時や自信を失っている時にそうした投稿を見ると、物凄い精神的ダメージを負うことになる。
中にはその影響から「自分も同じようにアピールしなければいけない」とばかりに、無理やり楽しそうな写真を投稿する人もいる。
だが、無理して等身大以上の自分を見せようとすれば、当然その反動は自分に跳ね返ってくる。
結果的には、嫉妬心を消すどころか、ますます劣等感に苛まされる羽目になるだろう。
嫉妬心、劣等感、虚勢心、そのような感情の上下運動を繰り返すうちに、心はどんどん疲労していく。
これがSNS疲れの正体だ。
【相手に嫉妬しないための究極の対処方法】でも話したように、嫉妬深い人は特にその波が大きい。
これを防ぐためには、まずは冷静な目を養うことが大切だ。
当たり前だが、SNSに投稿された写真はアクマでその人の一面に過ぎない。
写真ではキラキラ輝いて見えても、毎日そのような日々を送っているわけではない。
あなたと同じように、相手にも不満や悩みはあるのだから。
そうした冷静な目を養えるまでは、SNSから離れた方がいいだろう。
SNSをやるためには、相手の投稿に動じない心構えが必要である。
SNSの上手な活用方法
私は、基本的に向いていない人はSNSを使うべきではないと思っている。
無理して使ったところで、本人にとって何も良いことはないのだから。
ただし、SNSには違う使い方もある。
その使い方ならば、SNSに向いていない人でも大いに活用することができる。
その使い方とは、SNSだけのキャラクターを作ることだ。
実名のFacebookでは難しいが、twitterなどの匿名でも利用できるツールならそれが可能だろう。
そこでは、日常生活では言えない愚痴などを思う存分に吐き出し、ストレスの膿を取る。
フォロワーにはリアルの知り合いを一切入れず、完全に現実の世界と隔離するのだ。
人は、心の中にある不満を外に吐き出すだけでも大分楽になる。
しかし、現代社会はそういった愚痴を吐き出せる場所が非常に少ない。
少しでも愚痴を言えば、周りからはネガティブだと捉えられ、ポジティブ思考を強要される。
ポジティブ思考はたしかに大切だが、常にポジティブでいられる人などそうはいない。
たまには弱音を吐きたくなるのが人間というものだ。
とある研究では、ため息は脳にリラックス効果をもたらすと言われている。
やはり、たまには弱音を吐くことも、心の健康を保つためには必要なことなのだ。
その吐き出し場をSNSで代用すればいい。
この使い方ならば、SNS疲れの心配もないし、SNSに向いていない人でも安心して利用することができる。
まさに一石二鳥の使い方だ。
ただし、一つ注意しなければいけないのは、そのキャラクターにのめり込まないこと。
のめり込んでしまえば、今度はその人格が本当の自分のような錯覚を起こしてしまい、逆に自分を苦しめる羽目になる。
アクマでそのキャラクターはSNSだけの人格。
そのことを心に留め、割り切って使うことが大切である。
SNSは自分に必要なのかを考える
外交的・内向的、両者の性質を知れば、自分がSNSに「向いているか」「向いていないか」がわかるはずだ。
基本的に、SNSは現実世界の延長である。
ネットだからと言って特別な人間関係だとは思わずに、普段通り相手に接すれば良いのだ。
虚勢を張らずに等身大の自分でいること。
これが何よりも大切なことである。
そうすれば必要以上に相手の投稿に振り回されることもないし、心の疲労もぐっと減るはずだ。
もし、それでもあなたがSNSに向いていないと感じたら、その時はきっぱりとSNSから手を引くべきだ。
「SNSを止めたら友人関係が壊れるかもしれない」と心配するかもしれないが、そんなことはない。
あなたと相手に本当の絆があれば、そんなことで関係性は壊れはしない。
仮に関係が壊れたとしたら、その相手とは最初からその程度の関係だったということ。
そんな薄い関係性を保つために、あなたの精神を削る必要はない。
SNSを使わなくても、あなたの身近にいてくれる人はちゃんといる。
そういう人達だけを大事にしていけばいい。
自分にとってSNSは本当に必要なのか。
そのことをもう一度深く考え、SNSとの付き合い方を見つめ直すことが大切だ。
あなたがSNSに振り回されずに、自分の人生を生きられることを切に願っている。