基本的にインドアである私だが、時々、無性に人恋しくなる時がある。
そういう時はオフ会などに参加して、人との触れ合いを楽しむようにしている。
今まで、お花見やバーベキュー、花火大会など、季節特有のイベントに色々と参加してきた。
端から見れば、いわゆる「リア充」に見えることだろう。
しかし、当の本人である私の心境といえば、全く充実した気持ちになっていない。
もちろん、全然楽しくないというわけではないが、どちらかというと「やりきった」という自分への労いの気持ちの方が強い。
純粋にリフレッシュできたかと聞かれれば、むしろ疲労度の方が高くなっている。
世間では楽しいとされるリア充行動のはずなのに、一体何故なのだろうか。
それは、私がリア充に向いてない人間だからである。
今回は、そんな私と同じく、リア充に向いてない人の性質を考察する。
リア充に向いてない理由
冒頭で話したように、私はリア充に向いてない。
その理由は、私が内向的な人間だからである。
あなたも一度くらいは、内向的・外交的という言葉を聞いたことがあるのではないだろうか。
私と同じく自分が「リア充に向いてない」と感じる人は、ほぼ間違いなくこの内向的な人間である。
では、意味を詳しく説明していく。
まず初めに、誤解しないで欲しいのが、内向的・外交的という言葉は人の性格を指しているわけではない。
よく勘違いされやすいのだが、内向的という言葉を「シャイ」や「無口」という意味で捉えることだ。
そうではなく、内向的・外交的という言葉は、人の性質を指しているのだ。
この言葉の本当の意味は、自分の意識や感情が「内側」に向いているか、「外側」に向いているか、ということである。
これがリア充の向き・不向きにどう関係するのかといえば、内向的・外交的な人間ではエネルギーの蓄え方が真逆だからである。
内向的な人間は、自分の意識や感情を自分自身に向けることで、内側からエネルゲーを蓄えていく。
具体的に言えば、自分の好きな本を読むことや、映画やドラマを見て感動するなど、一人の時間を過ごすことで、エネルギーを蓄えるのである。
一方、外交的な人間は外からエネルギーを蓄える。
飲み会やレジャーなど、多くの人と交流することでエネルギーが蓄えられていく。
もうお分かりの通り、これがリア充に向いているか、向いていないかの正体である。
世間一般的に言うリア充とは、多くの人と交流して遊ぶことを指している。
つまり、外交的な人間でなければ、リア充行動を純粋に「楽しむ」ことができないのだ。
なぜなら、内向的な人間は、「人が大勢いる場所」や「刺激」が苦手だからである。
そういう場所にいると、自分のエネルギーがどんどんと奪われていく。
反対に、外交的な人間は人との交流や外からの刺激によってエネルギーが蓄えられるため、そのような場所では「イキイキ」とするのだ。
これがリア充が飲み会やレジャーを好む理由である。
彼等は自分のエネルギーを補充するために、リア充行動が必要不可欠なのだ。
いわば、外交的な人間にとっての生理的欲求である。
もし、あなたが「楽しいとされる場」にいても、何故か疲れを感じるのなら、それは内向的な人間である可能性が高い。
そこで無理に合わせようとすれば、ますます自分のエネルギーを奪われることになる。
リア充を羨む前に、まずは自分の性質をしっかりと見極めることが大切だ。
リア充になることを求められる理由
世間では、相変わらずリア充であることは正義、という風潮だ。
そのため、内向的な人間は外交的な人間に比べて、肩身が狭い思いをすることが多い。
時には、そのことで疎外感を感じることもあるだろう。
一体どうして世間は内向的な人間の気持ちを理解してくれないのか……。
あなたが内向的な人間なら、一度くらいはそう嘆いたことがあるはずだ。
実は、これにもれっきとした理由がある。
それは、世の中のほとんどは外交的な人間で占められているからだ。
ある統計によれば、内向的な人間と外交的な人間の割合は、3:7と言われている。
これだけの差があるのだから、内向的な人間が疎外感を感じるのは当然と言えるだろう。
ただ、それがプライベートだけで済むのなら、そこまで問題ではない。
無理に外交的な人間と付き合わず、なるべく一人で過ごせばいいのだから。
だが厄介なことに、このことは社会全体に影響をもたらしている。
日本は民主主義であり、世の中はどうしても過半数の者を基準として作られている。
よって、外交的な人間でなければ生き辛いと感じることが多々ある。
そのことで、内向的な人間が特に困るのが会社などの組織で働くことだろう。
ただでさえ仕事とは多くの刺激を受けるのに、それに加えて外交的な人間との人間関係を強要されれば、エネルギーはどんどんと失われてしまう。
それを回避するためにも、できれば内向的な人間は一人でできる仕事をした方がいい。
誰にも邪魔されず、一人でこなせる仕事なら、内向的な人間は無類の集中力を発揮し、とてつもない成果を発揮するだろう。
これもまた、内向的な人間が生きていくために必要な処世術である。
リア充を羨ましがらないことの大切さ
最近ではSNSの影響で、リア充に憧れを抱く人が多くなっている。
「twitter」や「Facebook」を覗けば、自分の周りにはリア充しかいないと錯覚するほどに、皆一様に飲み会やイベントの写真を投稿している。
その光景は、まるで幸せ自慢大会のようだ。
そのような投稿写真を見るにつれ、自分がリア充ではないことに、いつしか劣等感を感じるようになる。
『このままではいけない……』
自分が内向的な人間であるにも関わらず、そうしてリア充を目指す人は後を絶たない。
しかし、ここまで読んでもらえればわかるように、リア充にも向き・不向きがあるのだ。
あなたが外交的な人間ならば、リア充行動をどんどんすればいい。
多くの人と交流し、外から刺激を受けることは、外交的な人間にとっての何よりの活力なのだから。
だが反対に、あなたが内向的な人間だと自覚しているのなら、決して世間の言葉に惑わされてはいけない。
無理して外交的な人間の真似事をしても、その行動は、やがて自分で自分の首を絞めることに繋がる。
それよりも、内向的な人間は「一人で過ごす時間」を大事にした方がいい。
外交的な人間が多くの人と交流することを活力源とするように、内向的な人間にとっては、それが一人の時間を過ごすことなのである。
もちろん、内向的な人間が全くリア充行動をしてはいけない、というわけではない。
ただ、内向的な人間は外交的な人間と比べて、そのタイミングが遅いのだ。
内向的な人間がリア充行動をするためには、まずはしっかりと自分の中でエネルギーを補充すること。
そうしてエネルギーが溜まり、自然と「人と交流したい」という気持ちが芽生えたら、その時にリア充行動を起こせばいい。
それまではリア充行動を控え、ゆっくりと自分自身を見つめ直すべきだ。
自分という性質を知り、無理をなくす。
これこそが、内向的な人間が幸せに生きる道である。
そのことを頭に入れ、今後はむやみにリア充を羨ましがらないようにするべきだ。
あなたが世間に流されず、自分らしく生きられることを私は願っている。